月別アーカイブ: 2021年8月

パパゲーノ効果

昨今「パパゲーノ効果」と「ウェルテル効果」なる事象が注目されていることを知った。失恋が原因の自殺願望を断ち切った良い例として『魔笛』に登場するパパゲーノ、絶望し自殺してしまった例えとして『若きウェルテルの悩み』の主人公があげられ、繊細で共鳴しやすい若者が、有名人の自殺を伝えるニュースに影響され後追いしてしまう可能性(ウェルテル効果)を危ぶみ、パパゲーノのように思い止まり生還した好例をもっと盛んに報道した方が良かろう…という自殺抑止策の提案のようだ。しかし私はまだ〈倒してもない大蛇を素手で倒したと偽証〉したパパゲーノしか知らず、更にゲーテの『若きウェエルテルの悩み』に至っては1行も読んで無いときた。推量の域ではあるが、おそらくそれは昨夜観たTV能『戀重荷』のような失恋ストーリーなのだろう。(それはこんなお話だった)

…白河院の庭園で菊の下葉を取る担当の老人が、屋敷に住む女御に叶わぬ恋心を抱く。「この箱を持って庭を100回以上周れたらチャンスがあるかも?」との伝言を真に受けて「よし!周っちゃうぞ」と意気込むが箱はびくともせず、持ち上げることすらできない。実は、軽そうに見えるラッピングで装飾された荷箱の中身は異様な重量の謎の物体。「だましたな~」と恨みながらお爺さんは死んでしまいました。そして女御に〈座ったまま動けなくなる呪い〉をかけたのです。「呪いを解きたいのなら私を供養しなさい。そうすれば葉っぱの守護神になるから」とジジイの怨霊は言う。その言葉に従い供養するとあら不思議、無事に動けるようになったのです。…

死に至ってしまうほどの苦悩には同情するが、座りっぱなしの呪いをかけてしまう執念は全く共感できない(私が終日座りっぱなしなのは、むろん呪いの類ではなく単なる怠惰だ)。18世紀に刊行の『若きウェルテルの悩み』は自殺ブームを誘発したため「精神的インフルエンザの病原体」と当時は呼ばれたらしい。同じゲーテの著作なら、もっと生きるのにお役立ちなポジティブ格言集があるので、そちらを参考にした方が若者の為になるだろう。(小説より短いし簡便)

 

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「心を蘇らす泉は自分の胸中から湧いてこねば、心身を蘇らすことはできない」さもありなん。

魔笛

寝苦しさで起きたり寝たりを繰返して、本格的に目を覚ましたのは午前11時半。一階へ降りてまだクーラーの効いてない暑い部屋に座っていると、屋外から女学生グループが楽しげに歩いてくる声がする。そして私の居る部屋の横を過ぎたとき、一人の女の子が唐突に甲高いだけで下手っぴなソプラノで何かアリアの一部を歌いケラケラと笑った。あの誰もが聴いたことのある曲の断片は何という題名なのか?「たぶんモーツァルトのような気がする」と冷凍讃岐うどんを茹でる為に沸かした鍋の脇で、フィガロの結婚と魔笛の有名アリアを当てずっぽうでスマホ検索した結果、オペラ『魔笛』夜の女王のアリア「復讐の炎は地獄のように我が心に燃え」の、ファーファ.ファファファファファファファファ.ファ〜という箇所と判明。へぇ〜勉強になったなあ!これで一件落着。冷やしタヌキうどんを食べました。

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『魔笛』とはどんなお話か?(調べてみた)
…王子タミーノが大蛇に追いかけられ気絶します。夜の女王の侍女三人がやってきて大蛇を倒しました(上司に報告)。パパゲーノが「鳥を捕まえるのが俺の商売」と歌いながら登場、王子が「大蛇を倒したのは君か?」と尋ねると「そうだよ、素手で倒したよ」と嘘をつく…

「!???」暑さのせいか内容が頭に入って来ないので、涼しくなってから聴いてみようかな?

話題の注射(一発目)

昨日の午前中、ランドから歩いて20分の区民センターにて話題の予防接種を受けてきた。なぜか皆同じ特徴(小太り/丸顔/メガネ/白ワイシャツ/黒スラックス)の中年男性係員達の誘導により滞りなく一連の手続きを済ませ、無事にチクっと注射。女医さんに「全然痛くないですね!」などと軽口を叩きご機嫌で帰宅すると、次第に左上腕部に鈍痛が…(噂は本当だった!)。全国民に接種の推奨がされてるワクチンを行政の通達からもれることなく私でも打つことができ、巷で話題の反応も体験することができた。(2発目は強烈という評判の実証は3週間後)

(注射後は筋トレ禁止)
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注射後に描いたこの絵は「電脳キャッチャーAI 太郎」
ノムさんのような頭脳派捕手でディスリンピアン(九軍神)の一人だ。

人面鮫 R.I.P.

(不気味な中毒性)赤ちゃん人面ザメ写真を閲覧し過ぎて瞼の裏に焼き付いてしまったのか、睡眠と覚醒の狭間の一瞬、シルクハットをかぶった赤ちゃん人面ザメの姿が現れた!本物の死体写真は生々しく衝撃的なので、グロテスクなものが苦手な人は実物写真の代わりに私が描いた絵を見るといいヨ。(忘れないように起床してすぐにスケッチした)

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(いちにのさんすう)タップくんを想起させる
白くて細長い体に丸い目と大きな口。

滅亡と進化

過日20日の富士山大噴火の予言は幸いなことに外れ、私は心穏やかに週末を迎えることができた。そしていつものようにミロを混ぜた豆乳を飲みながら、人面動物の画像を見て楽しんだりしている。
昨日の外報によると、インドネシアの漁師が水揚げした雌ザメのお腹から可愛いオバケみたいな赤ちゃん人面ザメが摘出され、そのあまりにも奇妙な風貌に地元民は困惑しているという。
ウイルスの感染爆発、世界動乱、天変地異…。人類の前途に暗雲がたちこめつつある窮状を見て、人類以外の生物たちが次期の超文明人と成るべく着々と準備を始めている。動物の人面化はその予兆の一つであろう。

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私は座りすぎ超人「しりネッコ」に進化する。
(これはボール紙版画による試作品)

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玄関で人面虫発見(君はなんという虫?)

夢で逢いましょう

昨日の朝、友人から「夢の中で私と会った」との報告が届いた。かざまランドに集い二人でフルーツカービングをする夢で、ナイフを片手に神妙な面持ちでパパイヤや幸水梨を手榴弾のかたちに彫刻する…そんなシュールでほのぼのとした内容だったという。もちろん現実ではないが、色とりどりの果物を小型火器に変えてゆく美しい光景は、お便りから鮮明に想像され、この夏の数少ない良い思い出となった。

「収穫せよ」
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このマンガ『漫ヨハ入門』ではない別の予言マンガ『私が見た未来』によると、明日8/20に富士山が噴火するという!火山爆発は予知夢で見た光景で絶対に外れてほしい夢のお告げだ。

漫ヨハ入門

最近買って後悔した物に『まんがヨハネ黙示録入門』という漫画本がある。難解な黙示録を漫画でわかりやすく解説してくれるのならコリャいいや!と飛びついたのだが、内容は聖書の学術的解読ではなく、現実世界での戦争や事件、天変地異とハルマゲドン流言を利用したキリスト教布教の書物だった。超レアなおもしろカルト漫画だと勘違いしウッカリはまってしまうと危険だが、おっとどっこい、その手は桑名の焼き蛤。

諸星大二郎作品をうんとラフにしたような絵柄の漫画の中身は、キリスト教以外の宗教はもとより思想哲学までも貶め、さらに敵対する巨大新興宗教団体をやっつけてやろうという憎悪に満ち溢れてる。攻撃があまりにも露骨なので、このステルス作戦は失敗のように見えるが…(これ以上批判すると自分の身に危険が及びそうなのでここまでにしておこう)。この本がクイックジャパン「ぼくたちのハルマゲドン特集号」発売の翌年1996年に刊行ということを鑑みると、オタク界から発生した「ハルマゲドン」が一般社会にまで浸透し、終末観アジテーションが有効だったアブナイ時代性が窺えよう。…書棚に置くのさえ憚れる漫ヨハは、面白い絵の部分だけ楽しんでから目の届かない場所にしまう予定。(入手困難で高値な漫ヨハ所望の人がいたら特価1000円でお譲りしよう)

世界初の試み (!?)
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なかなか良い表紙デスネ

(漫ヨハ名場面集)
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軽薄短小時代のハルマゲドン

今回のオリンピックで考えさせられたことの一つが「小山田圭吾氏の辞任劇」で、小山田氏全盛期のいわゆる渋谷系について回顧する契機にもなった。問題の発端となったインタヴュー掲載誌が刊行された当時(1994~95年)私は吉祥寺にあった武蔵野美術学園在学中で、渋谷経由で井の頭線で電車通学してたこともあり(どちらかというと)渋谷文化圏にいた。

学生時代、パルコ発行の無料雑誌〈GOMES〉には大変お世話になり、パルコからはマンガグランプリ岡崎京子賞とアーバナートの賞までいただいた(校外で初めての展示は渋谷パルコだった)。帰宅途中に下北沢か渋谷で下車し、立ち読み&立ち聴きするのが貧乏画学生のささやかな娯楽で、HMVのCD視聴ブースでヘッドホンから流れるCOOLなJAZZに耳を傾けトッポい若者ぶっていた。
このように90年代は音楽を愛好(知ったかぶり)することがオシャレとされ、過去の名曲を発掘し、細切れにした音源を自作に取り入れたりリミックスしてみたり、蒐集したレコードから選曲アルバムを作ったりなどが渋谷系と呼ばれた人々の活動の特徴で、誰かの創作物を勝手に拝借し、料理して自分の手柄にしてしまう「人の褌で相撲を取る」ような行為はいかがなものかと思うのだが、そんなこと深く考えないで潮流に乗って楽しんじゃうのが軽薄短小時代の特色だったと言えよう。

小山田氏の問題雑誌〈Quick Japan〉の当該号の表紙には「強力特集・ぼくたちのハルマゲドン」と見出しが書かれ著名な漫画家の名前が並んでいる。これが発行された1995年(7月)は1月に阪神淡路大震災、3月には地下鉄サリン事件が発生した年で、被害の甚大さに世間が慄いてる最中、カルト教団が発したオタク的な流言「ハルマゲドン」を、おもしろ感覚で使用してしまう軽さは何だろう。B級映画の残虐性ってチョッと笑えるよね程度のノリか、もしくは渋谷系を中心に好まれてたアメリカン・ニューシネマやヌーベルバーグの無軌道、アンモラルな格好良さへの憧れか?とイジメ記事と見出しの空気感から推察。重大事件頻発の世相に乗りつつ、あえて斜に構えたポーズで楽しんじゃう軽薄短小の20世紀末を省みて、影響下にあった自分にも落ち度はなかったか反省の余地はある。

(勝手にしやがれ)
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学園の駐輪場で知らない学生のスーパーカブに勝手に乗って撮影

(いますぐDJ )
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登校途中に拾ったゴミ(枯れ木/TVアンテナ/ラジカセ/柱時計/トルソーetc.)で飾られたブースは教室の机。下校途中に吉祥寺図書館で借りたCDをカセットテープにダビングし、拾ったラジカセで聴くのが学生時代のオシャレ迷惑行為(すべて無料)。あなたにはうるさいだけのゴミ。

あとの祭り

「悪霊どもが豚の中に入る許しを乞うとイエスはお許しになった。悪霊どもはその人から出て豚に入った。すると豚の群れは崖を下り、沼になだれ込み溺れ死んだ…」ルカによる福音書の一節には、狂人に巣食う〈悪霊〉を豚に憑依させ悪魔祓いをしたイエスの奇跡が記されている。
八方塞がりの世情において、この悪魔祓いのごとく、あえて集団ヒステリー的な熱狂を誘発することでガス抜きする意図があったら…。そんな風に疑うとオリンピックは世にも恐ろしいお祭りだ。メダルラッシュと感染爆発の並走!感動と不安で興奮状態の豚の群れはトラックをグルグル周回し最終直線コースに突入。そしてゴール(死の沼)へとまっしぐら!・・・オリンピックというモルヒネで一時的に苦痛から解放され爽快な気分になっても、感染症や閉塞感が根治するわけではない。
美空ひばりの『お祭りマンボ』は、ピーヒャラピーヒャラ、ワッショイショイとテンポよく、陽気な下町情緒を歌っているのかと思いきや、実は、お祭りに熱狂するあまり足元で起きてる災禍(火事と空巣)を軽視した結果、痛い目にあってしまう愚かな民衆を描いた恐ろしい警告的歌謡曲だ。歌詞のように「いくら泣いても あとの祭りよ~」なんてシャレでは終われない現実が今ここにある。

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溺れる豚も久しからず、ただ夏の夜の夢のごとし…

風をあつめて

3株のエアプランツに行水させ、日光浴させるのが最近の日課です。これらは5月に隣町の100均店で購入した生きてる植物で、ホンコンフラワーのようなプラスチック製品ではないのですが、いくら世話をしても成長の見られないプラスチックのような植物です。
レジで代金を支払う時におじさん店員が「可愛いですよね。生き物だから大切にしてください」と言って無料でビニール袋に入れてくれて「口を結ばずに空気を入れて持ち帰ってください。苦しくなっちゃいますから…」と厳しい指示とともに渡してくれました。「はいそうします!」と気を引き締めて答えながら内心「100円だから気軽に買ったのに責任が重いなぁ」と思いました。
小さい草に対し大きすぎるビニール袋に夕暮れの向かい風をあつめて、空気を孕んで膨れた半透明袋の底で、カサカサと風に揺れる変な植物に目配りしながら私は帰路についたのです。

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3ヶ月間ぜんぜん大きくならないけど、このサイズに成長して出荷されるまでどれだけの時間を要するのか?と考えると100円(税抜き)では安すぎる気がする。