娑婆であびは°ツち

謎だった辻潤エッセイの題名「あびは°ツち」は仏教用語「あびばっち」で、意味は「不退転」であることが判明。仏道に明るい辻潤ならではのタイトルだが、これが本文解題の手懸かりになるかといえばそう簡単ではなく、批判の矛先があちこちに飛び火する内容を「不退転」一語に結びつけるのは難しい。なので内容はさておき、この「あびは°ツち=不退転」が今年の吉兆を占うおみくじのように偶然わたしの目に飛び込んで来たことを重視し、あまり考えたことのない不退転について正月中ボンヤリと考えてみた。
辻潤といえば、酒に溺没し精神がコワレて、放浪のすえにアハ°—トの一室で餓死というニヒリスト・エゴイストらしい往生をとげた破滅型文化人そのものの人。菩薩さまの境地に至る「不退転」の真逆を行く没落まっしぐら人生は、むしろ「退転」と見るのが常識的に正しい。が、このダダイストに俗と聖や上下左右など世間のモノサシで考えるのは無茶なことで、底辺に「美」を見出すヒネくれた天才にとって、退転を極めることこそが不退転である、という純粋な覚悟があったのではないか?と思える。ですヘ°らのソロイストは破戒僧の姿を借りて、反逆の裏町街道をさすらい果てた…。足が冷えて寝付けない大寒の頃になると辻潤の絶望的な顔が思い出されるのはなぜだろう?

今年はわたしが美術渡世に身を投じて20年目の節目の年にあたる。菩薩の域にはとうてい近づけないが気持ちだけは不退転(退転)の覚悟だ!

img_5504
新作「サバ景圖」下絵
庭園/カモフラ/サバゲ—/宇宙戦争が画題(掛け軸になる予定)

〈明日から公開制作再開!〉
img_5424
府中市美術館公開制作は明日1月8日から再開!まだ彫ってる近代五種麿。