不乱苦林

79年前の今日。1941年12月2日、大日本帝国海軍連合艦隊司令部より「ニイタカヤマノボレヒトフタマルハチ」の暗号が発信され、8日の真珠湾攻撃で太平洋戦争の火蓋が切られた。
私は20年前に司令長官・山本五十六の記念館(新潟県長岡)に行って、ブーゲンビル島上空で撃墜された長官搭乗機(一式陸攻)の千切れた左翼を見物した。ジャングルから引揚げられた巨大な翼は生々しく、こじんまりとした記念館展示室の中で異様な存在であった。そしてこの攻撃機遺骸に負けないぐらい印象が強かった展示品が『不乱苦林』と表紙に書かれたノートだ。これは五十六が十六の時に、米国の偉人ベンジャミン・フランクリンの自叙伝に感銘を受け、自分の勉強ノートに命名したのだという。リスペクトと勉学への真摯な姿勢を『不乱苦林』と表したセンスに感心したのと同時に、 『夜露死苦』を想起させる当て字にちょっと笑った記憶がある。

(マノヤマノボレ)
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『DER ZAUBERBERG』下絵製作中(間に合うかな?)