カテゴリー別アーカイブ: 古本

虎に翼にモヤモヤ

バーチャル神田で戦前の雰囲気を醸し出し、市井の人々の姿も描写してたので「良いドラマになりそう!」と大きな期待を寄せた『虎に翼』だったが、戦中辺りからすっかり心が離れてしまった!「はて?」と腑に落ちない箇所が多すぎてモヤモヤ…こんなかんじに↓

●体裁の為に結婚した寅子を戦後もずっと許さないヨネ●お父さんが娘婿の戦病死を半年間も隠蔽●親切心で家庭教師の仕事を紹介してくれた恩師に対し「はて?法曹界に導いたのは先生ですよね?」と怒り心頭。ずっと根に持つ寅子●日本人になったヒャンちゃん、何故か寅子に塩対応●戦災孤児の不良リーダーを自宅で保護。「道男」「ともこ」と馴れ馴れしく呼び捨て合う仲に。それから猪爪家にパラサイト●甘味処を継ぐことになった梅子。店主夫妻に伺いを立てることなく、甘味処で道男の寿司を提供することを独断で即決●問題が起きる度にすぐ「ごめんなさい」と頭を下げる寅子。他の登場人物も同様に「ごめんなさい」を連発(変に神妙な謝罪で何だか白々しい)などなど…。

最初こそ世相を意識したドラマだったが、中盤から外の世界が無い内輪な〈室内劇〉になってしまって超がっかり。LGBTQ/夫婦別姓/更年期障害/認知症など今風な問題も取ってつけた感が否めず…

昨日の回では1969年の東大安田講堂事件が取り上げられ「若者達の社会に対する不満が爆発」みたいなナレーションにも違和感。で、もうそんな時代?というか安保もベトナム戦争も永山事件もスルーして69年に来ちゃったのか!
戦後の復興から高度成長期へ。光と影のコントラストが強まる時代の影の部分を象徴する少年犯罪が永山事件だと思う。家裁判事が主人公のドラマとして、少しは(ニュースを見る場面とかで)触れておいた方が良かったのでは?

最終回まであと数日。数々の「はて?」がすっきりするような展開に期待です!

高度成長期の暗い影…青春残酷詩1970
IMG_0505あしべつひろし『狂っちゃいねえぜ』
田所久詩『死刑(リンチ)』
不幸な出自、貧困、差別、無知、思慮の浅さ…無軌道な若者たちが破滅に向かって真っしぐら!つたない絵が救いの無い不条理物語を際立たせる。
1970年刊行のこれらの漫画は、永山事件にインスパイアされたのだろうか?

悪魔の法律(2)

5月29日に最高裁判所で、旧優生保護法の被害者による弁論を傍聴しましたが、今日の午後3時に「違憲」の判決が下され、国への賠償請求が認められました。
除斥期間を盾に退けてきた国の卑怯な態度に、消しゴムを投げつけたくなる衝動にかられたが、この最高裁の判決に司法の良心を少しは感じた。(でもこれで終わりではない)

旧優生保護法は48年間。それに先駆けて執行された断種法《国民優生法》。1940年、新体制のもとで成立した民族浄化の悪法は「ナチスドイツをロールモデルにしてた時代だったからしょうがない」と思われがちだが一概にそうとは言えない。優生思想を啓蒙し続けた歴史を私の自主研究(古本コレクション)からご紹介しよう。

断種法のキーパーソン・永井潜
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オッペンハイマーが博士号を取得したドイツの超名門大学・ゲッティンゲン大学で生理学を学んだ永井潜は、日本における優生思想の主導者。
この大正5年刊行『生物学と哲学との境』は冒頭10ページが、ドイツの恩師に宛てた熱烈なラブレターで、科学よりも私情の迸りを感じる…。戦後も優生思想の書籍を数多く出版。

怒りのメモ「美しいことを夢見て 醜いことをする」
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雑草=不良な国民とその遺伝子、というのが定義だ。
〈淘汰の篩(ふるい)〉〈民族の花園〉〈血は最高の装飾〉などのパワーワードを連発する博士。その人に法律(国民優生法)の骨子をまとめさせた日本国。

(参考資料)1940年、国民優生法の意義を語る永井博士
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白樺派と大正デモクラシーの意外な一面!
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大正10年に創刊された『文化生活』は、森本厚吉/有島武郎/吉野作造が主宰する社会の改善を目的とした雑誌。創刊号には永井潜もエッセイ「優生雑話」寄稿しており、遺伝をコントロールする重要性を説いてる。
国家の構成=国民の数や質を合理的にデザインすることが、すなわち社会の幸福である。そんな上から目線の善意が透けて見える〈貧乏退治号〉も!

優生運動のイニシアチブ
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誰が第一人者になるか?名乗り出た一人にジャーナリストの池田林儀がいる。「精神主義の社会運動」を掲げ、修養や養成など後天的な変革を唱えた。「不良品の根絶やし」を目指す永井潜よりまともだけど、勝者は永井博士。

昭和8年刊行『プロレタリア産児制限法』無産者産児制限同盟という組織の出した恐ろしい表紙の本。…内容はいわゆる「家族計画」の方法。

悪魔の法律(1)

いよいよ明日29日。最高裁で旧優生保護法の被害者による弁論が行われる。
1940年、大政翼賛会の新体制下に発布された〈国民優生法〉をそのまま継承するかたちで1948年から施行された〈優生保護法〉は、驚くべきことに1996年まで普通に法律として存在し、2万5000人以上に優生手術(不妊手術)を強制し続けた。国民優生法の被害者を加えたら、どれだけの人数に膨れ上がるか分からない。

優生思想を『ディスリンピック2680』のテーマにし、独自取材(古本集め)をした私としては、この裁判の行方が気になるところだ。違法どころかズバリ国家による大犯罪であるのに、どうして声を上げにくい弱い立場の人達が苦労をして訴訟を起こさねばならないのか?不条理でしかない。
この悪魔の法律がどのようなものか、古本を手掛かりに少しばかり紹介しよう。

IMG_9304左: 「優生保護法」東京母性保護医協会/昭和54年発行
右:「週報」情報局/昭和16年6月11日号[国民優生法解説]
断種手術の社会的意義とその対象が示された啓発宣伝誌の内容は、ショッキングでグロテスク…。

「優生保護法」第1ページIMG_9297
第二章 優生手術/第三条には、成人の該当者からは本人の同意が必要「但し、未成年者、精神病者又は精神薄弱児(原文ママ)については、この限りではない。」と記載されている。
なぜ被害者の多くが少年少女の時に「盲腸」と騙されて手術されたのか、その理由がこの条文にある。同意の必要がないあいだに施術しておきたかったのだ。

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生まれてはいけなかった人間の烙印を押される絶望(こんな広範囲に…)

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〈優生手術申請書〉遠足か修学旅行の申し込み用紙程度の簡易さ(残酷すぎる)

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ディスリンピック右翼は選別と排除の物語
(…次号では戦前の優生学資料をご紹介)

赤色美術集

1か月も家捜ししたのにVOCA2001図録がまったく出てこない。
捜索中あの箱この棚あちこち開けてたら、忘却の奥底に仕舞われてた本『差別が奪った青春』とか『谷中村滅亡史』や『實業之日本オール金儲け實話號』などが発掘されるが、違うこれじゃない・・・

『日本プロレタリア美術集』もその一冊。
「鑑賞向けの美術はブルジョワ的だから全否定!俺達プロレタリアは我々の闘争を(わざと)下手くそに描いて大衆の心をアジテーションしちゃうんだぜ!」そんなヒロイックな陶酔がアマチュア風に描写され、美術というより完全なる思想広告。あえてクオリティを下げて民衆運動をアッピールする手法に、私は今もウンザリしてる。(あなた、美よりも目的を選択しましたね?)

IMG_9124『日本プロレタリア美術集 日本プロレタリア美術家同盟(PP)編 1931』
10年程前に1000〜2000円ぐらいで買ったこの本が、今では2万〜7万円(日本の古本屋調べ)に高騰! そんなに人気なの?プロレタリア美術…(売ろうかな)

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『音』 矢部友衛
危険思想雑誌かビラ作製中の同志たちに迫る特高の気配

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『裏切者』 長谷川三造
工場内にスパイ発見の場面。首を絞めてカナヅチで殴打…怖い。暴力革命の肯定に賛成の反対なのだ!
『アジテーター』 川越治武
力強い演説で労働者諸君を煽ってる場面。(アジテーターとオルグは争議の花)

或る晴れた日のホワイトテロル

昨日は憲法記念日。法律がテーマの朝ドラ『虎に翼』で、帝人事件(が元ネタの話)の判決が下る山場が昨日だったのは偶然ではないはずだ。自白供述済みの不利な窮状で、被告16人全員が無罪に転じるスリリングな法廷劇は単純に楽しめ、無事にパパが帰り一件落着…と、ドラマは痛快で面白いけど、大正時代から続く白色テロの嵐真っ只中、昭和初期の恐ろしい世相が描かれてないことが(階級闘争好きの私としては)少し物足らない感じもする。

現に帝人事件の前年1933年に起きたプロレタリア小説家・小林多喜二の拷問死は本当に凄惨。虫ケラのように弾圧される側は、法という名の正義の天秤にかけられることもなく抹殺。たとえ裁判にかけられても不当な重刑で獄中死…そんな残酷コースが常態化してた時代に触れず正義を問うのなら…さては寅ちゃん、貴女やっぱりプチブルですね!

俳人アナキスト和田久太郎の死
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1923年9月、関東大震災直後の甘粕事件で虐殺された大杉栄の親友だった和田久太郎は、報復のためにテロを企てるが失敗に終わる。そして無期懲役(後に20年に減刑)の刑で服役中、極寒の檻房で自殺してしまった。

戦後になり、友人の望月桂は久太郎の遺灰で花を育て、かつての同志たちに押し花を送り〈あの世からの花〉と題する。

やるせない2冊
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『何が私をかうさせたか』の著者、金子ふみ子も関東大震災のドサクサに乗じて理由もなく逮捕された。獄中で数多くの短歌を作ったが23歳の若さで獄死した。

『差別が奪った青春』は1963年に起きた狭山事件の容疑者・石川一雄氏の無実を訴える劇画。つらすぎて細かく読んでないが、ここに描かれてる暴力による自白強要、狡猾な誘導尋問、証拠のでっち上げが本当なら、裁判以前に警察が大問題だけど?

紙屑狂時代

長らく放置してた未整理絵葉書をファイリングしようと漸く重い腰を上げた。「狂ったように集めまくった絵葉書は無尽蔵の域に達したのか?」私はそれを確認することすら恐ろしく憂鬱だったのだ。

【集計結果】鑑賞用古絵葉書は1300枚以上で、ついでに新ファイルに引越しさせたノートゲルト(ヴァイマル時代の緊急紙幣)は174枚だった!!(資料用絵葉書は別に大量枚数)。恐れていた無尽蔵ではなく、一応枚数が把握できたのは大きな進歩だといえる。
《これ以上CD/古本/絵葉書/ノートゲルトを絶対に増やさない!》この誓いの証人は窓黒愛読者の諸君、あなた様に委ねよう。もし増えてしまったら厳重注意してね。

 

IMG_8980卓上を丸2日間占拠した絵葉書。ファイルに入れても入れても部屋の片隅から続々と湧き出る恐怖の古絵葉書…
 IMG_8988通販で購入した〈椅子になる箱〉に収まった絵葉書アルバム12冊(1冊100葉入)と2軍及び3軍絵葉書ビニール袋。(その他ノートゲルトアルバムと和書を収納)

問うて曰く/答えて曰く

奇書『視実等象儀詳説』は「△問うて曰く」と「△答えて曰く」の 問答が50回も繰返されるQ&A方式の本です。大多数の人から質問されそうな厳しい問いを佐田介石自身が想定し、それに対し仏教天文学の理屈を並べ立てて解説してゆく。このいわば自問自答の自己完結な攻防戦を私達はどう読めばよいのか?

西洋天文学の説(地動、ドーム型の天空、球形の地球など)は見かけの宇宙、即ち〈視象〉であり、仏教天文学の説(須弥山を中心に旋回する天道、ぺたんこの天空と地球)は真実の姿、即ち〈実象〉だという。そしてこの両説(視実)の宇宙は矛盾せずに同時に存在するという謎…。これを理論的に説明することは困難で、屁理屈と化した問答集を読んでると「もう諦めて太陽暦を受け入れちゃえば?」とつい言いたくなってしまう。こんな気持ちでは最後まで読めない。

Q&A古文書(ヤフオクで2000円)
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最初の問うて曰く「すでに西洋の天文学が普及してるのに、今さら説を覆したり蛇足する必要あるの?」という鋭い質問(自問)に対し「大砲からピストルの発明に進歩して、そのピストルも日々モデルチェンジしてるんだから、天文学だって新しい説が出現してもいいんだよ」という答えで、ちょっと腑に落ちない…。

これが視実等象儀だ!
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ケーキのように平な海に浮かぶ4つの洲(陸地)はドーム型の宇宙(視象天)に覆われ、遥か上空のぺったんこ天空(実象天)に太陽系があり、須弥山(真ん中の棒!)をグルグル廻りながら28日周期で上下する!?らしい…正直いうと理解不能です。

對近代

古文書のみで〈視実等象儀詳説〉を理解するのは限界があるので、図書館で借りた春名徹 著『文明開化に抵抗した男 佐田介石 1818-1882』の助けを借りることにした。これによると熊本の神童と称された介石はカール.マルクスと同時代人だと紹介されている。
なるほど確かに、世界の同時代人と並べると、介石が煽動した仏教に基づく梵暦の普及活動、グレゴリオ暦反対運動の時代背景に奥行きが増してくる。
イギリスを震源地とする産業革命の波が様々な方面に影響を及ぼした19世紀とは?それはズカズカと土足で踏み入る近代によって旧来の美徳が荒らされていく入口だ。

ドストエフスキーはロンドン万国博覧会(1851)の水晶宮に近代合理主義の勝利を見出し、嫌悪感を抱いた。ワーグナーは巨大化する人類の野望が、近代の魔力で実現可能となってゆく不吉な未来を『神々の黄昏』に描いた。ニーチェが数々の著作の中で、来たる近代黄金期を(事前に)全否定したことは言うまでも無く、皆様の周知するところであろう。
そして我がジャン・マリ・マティアス・フィリップ・オーギュスト・ド・ヴィリエ・ド・リラダン伯爵は、赤貧に喘ぎつつ、家具の無い部屋に寝そべりながら『未来のイヴ』を執筆し、科学の申し子である人造人間ハダリーの口から合理主義を呪う罵詈雑言を(とても優雅に)吐かせている最中であった!

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闇黒の無限世界(高次の存在)を否定する悪しき近代的概念「理性」と「自然」。機械の貴婦人は後者の合理社会に安住する恋人・エワルド卿をエレガントに喝破する(けちょんけちょんに!!)。白昼とランプに照らされた視覚情報しか信じない者は「己れ自身からの脱走兵」だと…
西洋天文学における「見かけ」の宇宙と、見えない仏教宇宙の摺り合わせに奮闘した佐田介石の〈ランプ亡国論〉にも注目だ!

仏教天文学の扉

ようやく落ち着いてきたので『視実等象儀詳説』を紐解いてゆこうと思う。まずは〈序〉でも読もうか…わぁ何故か漢文!書き下し文を読んでると受験生になった気分♪ 受験勉強したことないけど!

〈序〉
人あり、岸上に立ちて見るに、蒸気船の行き過ぎるさは十里に測り没し、見えざる試みに以って、五十里鏡を望めば、測りざるを見る。ごときなるをもと没し、ゆえのその五十里尽くするに至りてまた見えざる。更に百里鏡をもって望めば、測りまたそれ見えざるを没す。しからばすなわち先に十里ほどに没するを見たるは、これ実に没したるにはあらず。肉眼の力これ及ばざりなれば、また五十里尽くするに至りて没するを見るも、実に没したるにはまた非ず。これ五十里鏡の力及ばざればなり、さらに二百里鏡、三百里鏡を望む寸はすなわち没し見るにあらず。また皆しからん、しからばすなわち、遠鏡のこれ見る所なおあたわざりし。その実象に達し、いわんや天地のこれ広大なるや、ああ!人目なんぞ及ぶけんやかな。これもって知る天地の真象は、眼において在らざる、心において在るを、いずくんぞこれ千載未発の視実のことわりを発明する。眼においてあらざる、なんじ心において在り。この所以なりや。(間違ってたらすみません)

エキセントリック僧侶.佐田介石 撰 (明治13年刊行)
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崖の上から海上を航行する蒸気船を見ようと望遠鏡を覗く。ところが、どんどん倍率を上げても追いつかず見ることができない。このように肉眼も望遠鏡も真の姿を捉えるのには不十分である。しかし心の眼なら可能だ。これが「視実の理」の発明なのだ。(こんなかんじの意味かな?)

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「地球は丸くない!ぺったんこなのだ!」
ぜんぜん読めない狂った目次は訴える

蓋を棄てよ

昨年購入の『天台小止観』には五つの蓋を棄てよ、と書いてある。サインペン/筆ペン/リップクリーム/柚子胡椒/100均印鑑の蓋なら容易に棄てる(失くす)自信が私にはある!そして蓋をさがしてるあいだに時間も失くすのだ。

禅ブームで価格高騰の『天台小止観』
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それがたったの300円(だったので購入)

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5種類の蓋をどうやって棄てる?