畠山みどりはこう言った

入学式にお母さんが服につける野暮ったいコサージュを巨大化したようなオブジェと、クシャクシャにした銀紙で装飾された昭和っぽいステージが、懐メロの祭典『年忘れにっぽんの歌』の夢舞台だ。
『出世街道』イントロの演奏が始まり、舞台袖からトレードマークの派手な袴姿で登場した畠山みどり。中央のマイクスタンドまで歩いて行き歌唱する段取りだったが一歩間に合わず、慌てて両腕を伸ばしスタンドをぐいっと引き寄せ、最後まで歌いあげたものの敢えなくNGとなってしまった…
かくしてマイクスタンドからのスタートとなった2回目。客席からは暖かい応援の拍手が送られ、曲が終わると歌手を讃える純粋な大拍手がホールに鳴り響き、私も掌が真っ赤になるまで強く強く手を叩いた。当の本人はというと「なに?この拍手は。同情かしら…」とニヒルな態度でベテランの意気地を見せたことは先日報告したとおりである。

〈同情かしら〉発言に、「素直じゃないなぁ…でも試練を乗り越えてきた人ならではの強靭な度胸だ」と私は思った。だがしかし、大晦日のテレビに大きく映し出された畠山みどりを観て真実がわかった!
なんと、間奏が流れてる間「ありがとうございます」と小さく二度呟く声をマイクは拾っていたのだ。そして目には薄っすら光る涙が…。老いも失敗も人間の宿命である。それを毅然とした姿で引き受けた老歌手…その硬い岩盤から漏れ出ずる清らかな一滴を見てしまい、私の胸中では本番のド根性への称賛を上回るリスペクトが爆発!
『出世街道』最後の歌詞〈泣くな怒るな こらえてすてろ  明日も嵐が待ってるものを〉これを実践するかのような歌手人生。人が歌を作るのか、歌が人を作るのか…

変人哲学者の繊細で美しい(意外な)一面
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同情を否定する思想とは裏腹に、あまりにも人間的すぎた哲学者。
D.F=ディースカウ歌唱の作曲家ニーチェCDはお薦め!! やさしい雨の朝のような音楽ですよ

(ツァラトゥストラはこう言った、みたいなレコード『畠山みどりは言いました』のCD化を熱望)