二科とMAVO爆弾

大正12年の二科展では、二科の面子が潰されるようなちょっとした事件がありました。マヴォメンバーの巻き起こした痛快なエピソードです!
事件の発端は、落選を見越して二科に応募した、村山知義を含めたマヴォメンバー数人で「三千の落選作品を代表して」落選作品を手にしたまま、上野の街を楽団つきでパレードする『移動美術展』を開催しようと画策したところから始まります。
この公募出品のなかにイワノフ・スミヤヴィッチこと住谷磐根の作品『工場に於ける愛の日課』があったのですが、当時、外国作家偏重の傾向にあった二科は、まんまと住谷をロシア人作家と間違えて入選させてしまったのです。住谷自ら作品撤回を申し出て、二科事務局の協議によって撤回が認められたという顛末です。作品自体を審査し評価したのなら「いやいや、作品が良かったから入選させただけですよ。」と表明すればいいものを、すごすごと撤回した所をみると本当に名前に「騙された」のでしょうね。本人は前から名乗ってた芸名なので、騙すつもりは毛頭なかったのですが…。二科はとんだ赤っ恥をかいたわけです。
一方の『移動美術展』はどうなったかというと…上野署に喚ばれた村山知義は2時間にもわたる弁明で警察を説得したけど、結局は治警にかかわるからと集会を解散するハメに。残念!
イワノフ・スミヤヴィッチのコメントが読売新聞に掲載されてます。新聞記事になるほどの一大事だったみたいですね。(読売新聞:大正12年8月28日付「アールヴィバン33号」より)
『私の作品は二科会から撤回を申込みました、厳密な鑑査を経てないと思うからです。三千点近くの落選中どれ程立派な作があったかを想像する時、鑑査の八百長さが私の胸を虫ずが走る程愉快にさせます。露国人の名を偽ったのではなく私の通称です。露国人でしたらイワン・スミヤノヴィッチ・コクフスキーとでもしたでしょうが、それは偽名になります、私は偽名を少しも使っていません。露国人と思い込んで入選させたとは二科会は何たる態度でしょう。二科の同人諸君に私の作品がおわかりとは思えない。因習的な二科の価値批判を睡棄し撤回する次第です。』
…スミヤヴィッチかっこいい〜!移動美術展は不発弾におわったけど、意図せず二科自爆です!スミヤヴィッチ
イワノフ・スミヤヴィッチ「工場に於ける愛の日課」1923年
踊り
『踊り』1924年、村山知義のアトリエにて。
住谷磐根(スミヤヴィッチ)高見沢道直(田河水泡)岡田龍夫(NNK=日本ニヒリスト協会)

☆小ブルはさておきプチ回顧展『プチブル』は今日が最終日です!無人島プロダクションにて!☆