失せ物絵馬

ずっと以前に、作品の参考資料として船絵馬の図版を探しているとき「漁撈伝承」(川島秀一著)という本で「失せ物絵馬」という面白い海上信仰を知りました。
この失せ物絵馬は、おもに三陸沿岸の宮城県釜石あたりから福島県いわきまでの海に近い場所にある神社に奉納される(というよりも勝手に貼ってある感じの)絵馬です。
絵馬というと木の板に彩色画が描かれている額絵の奉納絵馬や境内に提げられた小絵馬が一般的ですが、失せ物絵馬はフツーの漁師さんや船主さんが、油性ペンでチョロっと絵を描いた画用紙や半紙の紙絵馬です。素人っぽい線の感じがとても良い味をだしてます!描かれている物がとても面白く、包丁、ノコギリ、ナイフ、銛等の道具から錨やスクリューやモーターといった大きな物までの「金物類」です。なかにはリアルな描写の絵馬もあります。
その日の漁が大漁になるか不漁になるかは、天候や運に左右される漁師達にとっては日常生活でも「切る」「失せる」「サル」いう不漁を連想させる言葉自体がタブーだったりする訳ですが、その「切る」道具の金物類を船の上から海の中に落としてしまう、無くしてしまう事はとても縁起が悪く、それ以上に金物嫌いの海の神「龍神様」の逆鱗に触れてしまう禁忌行為だそうです。
失せ物絵馬には、龍神様に落とし物を報告して詫びるという大切な意味があるのです。失せ物と落とした日付と船の名前か個人名が明記された絵馬は、神社の祠のなかや、石碑などに糊で貼付けられます。紙にサラっと絵を描いて手早く貼って奉納することで、祭事の日などを待たずに個人で祓いが済まされるという便利な絵馬のようです。それはタブーをおかした気持ち悪さからいち早く解放されて気持ちよく漁に出るための、ある意味「合理的」な習俗なのかもしれません。

…今日で東日本大震災から3年目です。「失せ物」というにはあまりにも甚大な喪失をどう埋めていけば良いのか?人命、財産、時間…さまざまなものが失われましたが、当事者でない自分としては浅はかな同情を寄せるだけの3年間でした。同情は同じ情けと書きますが、同じレベルとは程遠い薄情けに過ぎません。慚無い現実を他人事に思わないように努めても、ふと気がつけば対岸に遠ざかっていく感情に我ながら失望!
津波が呑込んでいった「失せ物」を絵馬に記そうとすれば何枚紙があっても足らない。そして奉納されてきた三陸沿岸の神社は残っているのでしょうか?(無事だといいのですが…)
不可抗力な現象、自然が起こす結果に対してどう気持ちに折り合いをつけ平穏さを取り戻すか?
先人のおこなってきた自らが平穏に暮らすためのささやかな信仰。民間信仰の中にのこされた非合理的習俗の合理性に妙用をみいだせたら…。と思いを馳せることすら呑気な綺麗事に過ぎないかもしれません。まだまだ残された人間に課せられたものは大きいです。

失せ物絵馬
失せ物絵馬を再現してみました。本物はもっと味があります…。