ふすまにプリントされている和風の菊柄が野暮ったく、どうしても消したい衝動にかられ「そうだペンキで塗り潰してしまおう!」とペンキを買いにホームセンターまで行きました。世田谷区内にあるホームセンターを検索したところ、経堂に「ビーバートザン」という名前の店があるということがわかりました。「ビバート・ザンかぁ。なんかカッコいい店名だな」と家を立ちテクテク40分ほど歩いた小田急線の高架下に、かの店『ビーバー・トザン』はありました。…ああ、そっちね!
「ライトベージュ」と表記された屋内用ペンキは限りなくオフ白に近いアイボリーでしたが、難なく図柄を塗り込めてやることに成功!(目を凝らすと浮かび上がる野菊の亡霊)シャビー感溢れる空間に塗ったばかりのふすまだけが白過ぎますが、姫路城もあんだけ白いのだから良しとしよう。
今回の散歩ですごい発見がありました。本当に収穫です!ウチから一番近い戦争遺跡「陸軍衛生材料本厰」という陸軍施設の跡が上用賀にあります。この施設が置かれた1934年当時のものと思われるモルタルの塀などが残っていてなかなか良い感じなのです。経堂に向かう道すがら、通りかかった時、見たことのない近代建築が目に飛び込んできました。旧敷地内に建てられた民家の一軒が取り壊されて自衛隊駐屯地の一部が丸見え状態になり、その「研究棟」とおぼしき建築が通りに出現したわけです。「衛生材料厰」の跡地は戦後GHQから返還された後、国立衛生試験場となり今は国立医薬品食品総合研究所と名称を変えて使用され、同じ敷地に隣接する形で陸上自衛隊用賀駐屯地と駒沢大学付属高校があります。この謎の研究棟は駐屯地の南側の敷地内に建っていました。
戦時中ここでは、包帯や絆創膏といった衛生用品から医薬品、そして「星秘膏」という性病予防の軟膏まで製造し戦地に供給してたのです。(外地でそうゆう行為をするのが当たり前だったんですね)ヤフオクで「衛生材料本厰」で検索すると、結構イロイロと陸軍の☆印のモノが出品されてますよ。…ていうことは、あのいかがわしい「星秘膏」もこの研究棟で研究開発されたのかな〜?と空想はひろがります。
今の今まで、この敷地内に何か「戦跡」あるのではないかしら?と周囲を嗅ぎ回っていたのに、何一つ発見出来なかったのは、高い塀と民家に遮蔽されてたからです。世田谷区史跡マップにも勿論のってません。もっと公開してもいいはずだけど、我が国は太平洋戦争の歴史の学習には後ろ向きなので、戦跡物件は故意に放置して知らない間に取り壊しというのが基本的な姿勢(消極的隠蔽)でしょうね。見たいものが存在も知れずになくなるなんて悔しい!歴史的価値の検証なんて後回しでいいから、まず見せてほしいものです。

長い塀は「陸軍衛生材料本厰」時代の遺物。
凹凸が城塞みたいで格好いいので大変気に入ってます。
戦後のドサクサでこの塀を利用した民家が3軒ほど並ぶ…羨ましいぜ!!

ここから「我が軍」の敷地内で〜す!
版画のできる女スパイは、こんな杭ひとつにビビってはいけない!
フェンスに手を突っ込んでさっそく撮影開始〜

今でも現役なのか?沢山のダクトや室外機。これは研究棟に間違いない!
研究用の花壇もなんだか怪しい。ここで戦時中どんな研究がされていたのだろう?
なにかブツ(☆印の薬瓶とか)が落ちてないかと目を皿の様にして探したけど
泥だらけの五円玉を一枚拾っただけ・・・。ご縁がありますように♡

おお!な〜んと「防火水槽」があるー!!!!!しかも五つ
こんなに小さかったんだ…この少量の水で焼夷弾の火を消せとは愚かだ。

本当はライトベージュに変わるはずだった白い襖。(白黒にすると良さげに見える)
「パーティでチャラっとしてるサチコさんと家の中のギャップが酷過ぎる!」
と恐怖に陥れてた人外魔境(居間)の改善にむけて奮闘中で〜ス。
(当初設定してた「セセッション×民藝」の野望は早くも瓦解)
お手製の暖簾は意識的構成主義集団マヴォの一員であり、NNK=日本ニヒリスト協会会員でもある岡田龍夫氏のリノカット作品を元に作りました。
