軽薄短小時代のハルマゲドン

今回のオリンピックで考えさせられたことの一つが「小山田圭吾氏の辞任劇」で、小山田氏全盛期のいわゆる渋谷系について回顧する契機にもなった。問題の発端となったインタヴュー掲載誌が刊行された当時(1994~95年)私は吉祥寺にあった武蔵野美術学園在学中で、渋谷経由で井の頭線で電車通学してたこともあり(どちらかというと)渋谷文化圏にいた。

学生時代、パルコ発行の無料雑誌〈GOMES〉には大変お世話になり、パルコからはマンガグランプリ岡崎京子賞とアーバナートの賞までいただいた(校外で初めての展示は渋谷パルコだった)。帰宅途中に下北沢か渋谷で下車し、立ち読み&立ち聴きするのが貧乏画学生のささやかな娯楽で、HMVのCD視聴ブースでヘッドホンから流れるCOOLなJAZZに耳を傾けトッポい若者ぶっていた。
このように90年代は音楽を愛好(知ったかぶり)することがオシャレとされ、過去の名曲を発掘し、細切れにした音源を自作に取り入れたりリミックスしてみたり、蒐集したレコードから選曲アルバムを作ったりなどが渋谷系と呼ばれた人々の活動の特徴で、誰かの創作物を勝手に拝借し、料理して自分の手柄にしてしまう「人の褌で相撲を取る」ような行為はいかがなものかと思うのだが、そんなこと深く考えないで潮流に乗って楽しんじゃうのが軽薄短小時代の特色だったと言えよう。

小山田氏の問題雑誌〈Quick Japan〉の当該号の表紙には「強力特集・ぼくたちのハルマゲドン」と見出しが書かれ著名な漫画家の名前が並んでいる。これが発行された1995年(7月)は1月に阪神淡路大震災、3月には地下鉄サリン事件が発生した年で、被害の甚大さに世間が慄いてる最中、カルト教団が発したオタク的な流言「ハルマゲドン」を、おもしろ感覚で使用してしまう軽さは何だろう。B級映画の残虐性ってチョッと笑えるよね程度のノリか、もしくは渋谷系を中心に好まれてたアメリカン・ニューシネマやヌーベルバーグの無軌道、アンモラルな格好良さへの憧れか?とイジメ記事と見出しの空気感から推察。重大事件頻発の世相に乗りつつ、あえて斜に構えたポーズで楽しんじゃう軽薄短小の20世紀末を省みて、影響下にあった自分にも落ち度はなかったか反省の余地はある。

(勝手にしやがれ)
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学園の駐輪場で知らない学生のスーパーカブに勝手に乗って撮影

(いますぐDJ )
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登校途中に拾ったゴミ(枯れ木/TVアンテナ/ラジカセ/柱時計/トルソーetc.)で飾られたブースは教室の机。下校途中に吉祥寺図書館で借りたCDをカセットテープにダビングし、拾ったラジカセで聴くのが学生時代のオシャレ迷惑行為(すべて無料)。あなたにはうるさいだけのゴミ。