日別アーカイブ: 2020年9月19日

『死後無限を凝視するその眼』

去る8月の夕方。ニコタマのカフェーで友人から聞いた話によると「品川にある食肉市場の横を深夜に通ると、屠殺される牛や豚の断末魔の叫びが聞こえる」というのだ。私はこの身の毛のよだつ話で、或る小説の一節を想起したのだった。それは19世紀末に書かれたヴィリエ.ド.リラダンの小説『トリビュラ・ボノメ』内の〈クレール・ルノワール(四、不可思議なる記事)〉で、主人公のボノメ博士がサン.マロの港のカフェーで偶然目にした古新聞の不思議な報道記事である。

『パリ科學學士院は、最近最も驚くべき一事實の眞實性を確認するに至つた。我々の食用に供せられる動物、例えば羊、牛、子羊、馬、猫の如き動物は、屠殺者の鐡槌なり庖丁なりの打撃を加えられた後に於いても、そのいまはの際の視野に宿った物體の印象を眼底に保つものであるといふことが、今後はまぎれもない事實となつたわけである。舗石とか、肉屋の爼だとか、下水流しだとか、とりとめもない様々な物の形が、そのまま〝撮影〟されるわけであるが、その中には殆ど常に、手を下した人間の面影がはつきり寫つて居るといふ。この現象は、肉體的腐敗に至るまで持續するものである。』

以上の記事を読んで、奇妙な感慨に打たれたボノメ博士は、自身の変態的嗜好も相まり終いには『死後無限を凝視するその眼』を検証するまでに至るのだが、もしも、このリラダン伯爵の想像した〈眼底に断末魔の光景を焼き付ける写真〉が本当に発明されたならば…。この世の虐殺場面の真実は、犠牲者の眼球につぶさに記録され、子供及び動物への虐待の抑止につながることであろう。と私は思うのだ。(そして皆様は死んだ牛の巨大眼球を覗き、以後は肉食をやめるであろう)
 

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5年前、青森ACAC滞在中に弘前の古本屋で偶然手にした『トリビュラ・ボノメ』

(2021年の抱負)
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3年前に揃えて未だ1頁も読んでいない『リラダン全集』は、電車内はおろか寝床でも読めないほど大型で非常に重たく、読書環境は卓上に限られている。(来年は読もう!)