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對近代

古文書のみで〈視実等象儀詳説〉を理解するのは限界があるので、図書館で借りた春名徹 著『文明開化に抵抗した男 佐田介石 1818-1882』の助けを借りることにした。これによると熊本の神童と称された介石はカール.マルクスと同時代人だと紹介されている。
なるほど確かに、世界の同時代人と並べると、介石が煽動した仏教に基づく梵暦の普及活動、グレゴリオ暦反対運動の時代背景に奥行きが増してくる。
イギリスを震源地とする産業革命の波が様々な方面に影響を及ぼした19世紀とは?それはズカズカと土足で踏み入る近代によって旧来の美徳が荒らされていく入口だ。

ドストエフスキーはロンドン万国博覧会(1851)の水晶宮に近代合理主義の勝利を見出し、嫌悪感を抱いた。ワーグナーは巨大化する人類の野望が、近代の魔力で実現可能となってゆく不吉な未来を『神々の黄昏』に描いた。ニーチェが数々の著作の中で、来たる近代黄金期を(事前に)全否定したことは言うまでも無く、皆様の周知するところであろう。
そして我がジャン・マリ・マティアス・フィリップ・オーギュスト・ド・ヴィリエ・ド・リラダン伯爵は、赤貧に喘ぎつつ、家具の無い部屋に寝そべりながら『未来のイヴ』を執筆し、科学の申し子である人造人間ハダリーの口から合理主義を呪う罵詈雑言を(とても優雅に)吐かせている最中であった!

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闇黒の無限世界(高次の存在)を否定する悪しき近代的概念「理性」と「自然」。機械の貴婦人は後者の合理社会に安住する恋人・エワルド卿をエレガントに喝破する(けちょんけちょんに!!)。白昼とランプに照らされた視覚情報しか信じない者は「己れ自身からの脱走兵」だと…
西洋天文学における「見かけ」の宇宙と、見えない仏教宇宙の摺り合わせに奮闘した佐田介石の〈ランプ亡国論〉にも注目だ!

仏教天文学の扉

ようやく落ち着いてきたので『視実等象儀詳説』を紐解いてゆこうと思う。まずは〈序〉でも読もうか…わぁ何故か漢文!書き下し文を読んでると受験生になった気分♪ 受験勉強したことないけど!

〈序〉
人あり、岸上に立ちて見るに、蒸気船の行き過ぎるさは十里に測り没し、見えざる試みに以って、五十里鏡を望めば、測りざるを見る。ごときなるをもと没し、ゆえのその五十里尽くするに至りてまた見えざる。更に百里鏡をもって望めば、測りまたそれ見えざるを没す。しからばすなわち先に十里ほどに没するを見たるは、これ実に没したるにはあらず。肉眼の力これ及ばざりなれば、また五十里尽くするに至りて没するを見るも、実に没したるにはまた非ず。これ五十里鏡の力及ばざればなり、さらに二百里鏡、三百里鏡を望む寸はすなわち没し見るにあらず。また皆しからん、しからばすなわち、遠鏡のこれ見る所なおあたわざりし。その実象に達し、いわんや天地のこれ広大なるや、ああ!人目なんぞ及ぶけんやかな。これもって知る天地の真象は、眼において在らざる、心において在るを、いずくんぞこれ千載未発の視実のことわりを発明する。眼においてあらざる、なんじ心において在り。この所以なりや。(間違ってたらすみません)

エキセントリック僧侶.佐田介石 撰 (明治13年刊行)
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崖の上から海上を航行する蒸気船を見ようと望遠鏡を覗く。ところが、どんどん倍率を上げても追いつかず見ることができない。このように肉眼も望遠鏡も真の姿を捉えるのには不十分である。しかし心の眼なら可能だ。これが「視実の理」の発明なのだ。(こんなかんじの意味かな?)

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「地球は丸くない!ぺったんこなのだ!」
ぜんぜん読めない狂った目次は訴える