日別アーカイブ: 2014年5月5日

健康学園(2)

『健康学園(けんこうがくえん)とは、肥満や気管支喘息、偏食、病弱などの健康上の障害のある児童に、集団生活ときちんとした健康管理と教育によって、健康改善の機会を提供しようとする試み、もしくはそのための全寮制の教育施設のことをいう。』『制度的には、所属校の病弱特別支援学級という位置づけである。』以上、ウィキペディアより引用。

この健康学園の概要でわかるように、特別に養護支援を受けさせる対象は「肥満、気管支喘息、偏食、病弱」の4つに限られています。広義での病気は対象外で、あくまでも目的は治療ではなく改善なのです。なので医療設備はまったく用意されてません。私が入所してた学園には医者も看護士も常在していませんでした!喘息は呼吸困難で死に至るほどの大発作が起きるのに、これは危険!どうして問題にならなかったのだろう?のんきな時代でしたね〜。この学園を含めてほとんどがすでに廃園してます。こんだけズレた健康管理感覚なので当たり前ですが…。
なぜ、肥満、気管支喘息、偏食、病弱のみが改善すべき対象だったのか?1930〜96年の60年以上の長きにわたり朝日新聞が主催していた「健康優良児表彰事業」というメディア・イベントを考証し、児童の健康をめぐる政治性を考察した著書「健康優良児とその時代」(高井昌史/古賀篤)を参考にしながら考えると次のようなことが健康学園の方針にも反映されていることが分かります。

「健康優良児=健全」の概念も時代によって変遷し、戦前戦中は体力、体躯の向上を目的とし、「15年戦争に突入する状況下で、長期戦のための最も基礎的戦力としての人的資源」の有望な予備軍が健康優良児っだった訳です。そして健康優良児に表彰された児童は、徴兵の年齢に達する
と真っ先に戦場に送られ多くの健康優良児が戦死したそうです。戦後には新たに「健康優良学校」の表彰もはじまり更にエスカレート。終戦直後の栄養失調や衛生問題克服から、東京オリンピック開催によって、より国際化したなかで「外国人に負けない体力」をもったポジティブな理想的児童像が生まれ、そして高度成長期以降は、都市化で発生した「核家族」「外で遊ばない」「肥満」「公害病」などの不健全要素の排除が、この健康優良を促進するためのテーマになったようです。
これをふまえて考えてみると、私の入所していた施設は昭和39年(1964年)ちょうど東京オリンピック開催の年に開園したので、まさに児童の体力向上気運が盛り上がっていた時期だと言えます。そして、それ以降に浮上した「不健全な都会ッ子」の問題点は、そのまま健康学園が「改善」を目指した対象だといえます。
肥満、気管支喘息、偏食、病弱(私の時代にはアトピー性皮膚炎の子もいました)これらは都会生活の弊害で、核家族内での甘やかしでなった「わがまま病」なので、集団生活によって改善する事が肝要なのです。信じられないのことに、今では医学的に炎症によって起きることが解明されている喘息も、当時は「わがまま病」だと思われているフシがありました。(公害が原因の場合は別ですが…)実際に、近所の主婦連から「仮病だ」「過保護だ」とさんざん陰口をたたかれ、白い目で見られて母親がハブられた!それに学校を休んだ日に外出しただけで「風間さんがデパートをうろついてた」って学校に密告された!糞!(無知と偏見はイヤだねぇ)
…..話が脱線しましたが。とにかく自己管理の出来ない肥満児、意志薄弱な喘息持ち、好き嫌いをする偏食児童(そんなに問題?)、病弱という建前の登校拒否児、それらを克服する力のない子供達は教室の健全さを乱す不穏分子です。不穏分子を一挙に引き受け、正常化して元の教室に帰す。それこそが健康学園の役割です。

健康学園の存在意義がわかってきたところで、次は実際の学園生活と、ちょっぴり国粋的な教育の根っこを考えてみようと思います。(次回につづく。)