日別アーカイブ: 2017年4月27日

脅しのホ°エム

改めて防空関連図書をひろげてみると、昭和8年の関東大防空演習あたりから恐怖蔓延フ°ロハ°ガンダがはじまり、この当時の被害想定のメインは「化学戦」いわゆる毒ガス攻撃で、爆弾による火災というのは二の次だったことがわかります。しかし太平洋戦争に突入した昭和16年になると、本土空爆による首都焼失という危機感に移行し、いままで防空を啓蒙するアイコン的存在だった防毒マスクも姿を消します。それは国策雑誌「写真週報」の表紙にもよく現れてます。そしてその写真週報にとびっきりコワいホ°エムを発見!(見開きでドカ—ンと)

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爆弾は炸裂した瞬間しか爆弾でない。
あとは、唯の火事ではないか。
唯の火事を、君は消そうともせずに逃げだすてはあるまい
召集を受けた勇士を、『一死奉公立派に働いてくれ』と君は励ました。
一旦風雲急となった時、この都市を、護るのは今度は君の番なのだ。
英霊は君の奮闘を待っている

…なんという詭弁と脅迫(笑)
とるべき初動はまず「逃避」と私は決めた!

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いろんな防空の本
脅迫詩は下段右から2番目、防毒マスク表紙の写真週報(昭和16年)巻頭に掲載
写真週報表紙の女性の服装に注目。右上(昭和13年)白いかっほ°う着にガスマスクから、右下(昭和18年)鉄兜に更生品の防空服に様変わりし空襲の本格化がうかがえる。