「岩角ばかりの岩山が なぜ、すきなのだろう」という素朴な疑問を、詩集『万葉のシュール』収録の詩「岩山」にて長尾和男は虚空に投げかける。このわけもなく特定の形体を偏愛する気持ちに、私も少なからず共感するものがある。
(その執着は夢に現れ…)このまえ2夜連続で角のあるピカピカの物体を、幸運にも手に入れる夢を見た。どんな夢かというと、一夜目は、道路の舗装工事をしている作業員に「そのアスファルトの山の中に、デカい結晶があるから持って行きなよ!」と声をかけられ、現場に野積みされた黒い粒々の山を探ると、言われたとおり何か(黄鉄鉱みたいに)ゴツゴツと六面体が集合したピカピカの鉱物を発見し、ありがたく頂戴する夢。次の夜は、操業停止中の金属加工工場に深夜忍び込み、(方鉛鉱みたいに)いくつもの立方体凸凹が削られた金属片キーホルダーを泥棒する夢…。
やった〜素晴らしい物を手に入れた!と満ち足りた喜びも、それは夢。目が覚めればもちろん手中には無いのだから「儚いというのはこのことだ。」と諦めるよりほかしょうがない。