日別アーカイブ: 2022年4月7日

4月7日ワルシャワで

1944年ワルシャワ・夏。ソ連から対ドイツの共闘を持ちかけられ武装蜂起するに至ったが、いざ火蓋が切られると赤軍からのまともな援護はなく、結局は梯子を外され、見殺しにされるような形となった。協力者だったはずのソ連は、ドイツ軍によって市街が破壊され廃墟になったのを見計ってワルシャワを占領し、ポーランドを赤化したのだという。8月から10月までのたった2ヶ月間でレジスタンスと市民を合わせて22万人、ポーランド軍兵士1万6千人が犠牲に。しかしこの人数は推定で実際はもっと多いと言われている。

…以上のような凄惨極まる戦史を外国人でも勉強できる〈ワルシャワ蜂起博物館〉を見学し終わって、復元された旧市街地までブラブラ歩いて行くと、WW2時代の軍服をまとった仮装行列に出くわした。「いったい何のお祭りだろう?」と不思議な気持ちで眺めていたのだが、帰国して調べてみると、おそらくあの大行列は〈カチンの森事件〉の犠牲者を追悼するための行事だったようだ。大量虐殺事件の詳細は現在も不明というが、その概要は背筋も凍る残虐性に満ちたものだった。

4月7日: ワルシャワ蜂起博物館で
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上空にイギリス軍輸送機が飛来してきたとき、地上の戦闘員はどんなに期待したことか!
ロンドンに拠点を置く亡命政府からの支援物資は投下されたが…

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落ちてきた鉄製カプセルの中身は、機関銃一丁/缶詰1個/クラッカー数枚/手榴弾3個ぐらいと期待を大きく裏切るわずかな物量で、駆け寄り拾った者は皆んな落胆したと解説イヤホンは語る。

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旧市街広場に向かう隊列は2千人ほどに見えたが、現実の犠牲者はこれの約10倍、2万2千人のポーランド軍将校、警備隊、官吏、聖職者だったという。
1940年4月、ソ連に捕らえられた多数のポーランド人捕虜が、スターリンの指令でNKVD (KGBの前身) によって虐殺され、スモレンスク近郊カチンの森に埋められた。
プーチンは言わずも知れたKGB出身で、ボルシェビキ古参であるスターリンの嗜虐性をも継承してると言えるが、どうして21世紀にもなってそんな男が独裁者として存在しうるのか?ロシア人に問うてみたい。