亡者の行進、大阪(2)

旅行をするとき、戦跡、廃墟、自衛隊駐屯地は有難い。当初の旅行の目的がひとつでも、この3点は日本全国どこでも点在している上に、見学はタダときてる。今回も松田くんの「亡者の行進」展をメインに、戦跡+αのオプションつきの旅行が計画で行きました!
私の旅行プランはかなり綿密で、何日も前から調べ上げ、分刻みのスケジュール表「旅の栞」を作成してから出掛けます。「旅行で息抜きしたいのに、ゆっくりできないじゃん。」とお思いの方もいらっしゃるでしょうが、私にとっての旅の楽しみは「プランを完璧に消化する」ことにあるのです。行き当たりばったりのふれあい旅なんぞ屁だと思ってます。
…しかし今回は意外な落とし穴がありました。それはスマホ。今年の10月に生まれて初めて携帯電話を所持することになり、アイフォンを購入したのですが、この便利さに依存して気のゆるみが生じました。なぜか大阪に着いたその日にネットとメールが繋がらなくなりました〜ギャフン。電車の時刻や戦跡の地図は「旅の栞」になっているので問題なかったのですが、肝心の松田展「アートスペースZERO-ONE」の場所はホームページで確認してたので、最寄りのバス停まで辿り着けたたものの迷子に…。やむなくバス停前の自転車屋さんに尋ねてみましたが「ギャラリーって何をする場所?」とまさかの逆質問で撃沈!路上で途方に暮れていると、ポンポンのついた帽子の女の子とハンチングをかぶった男の子、何か趣味を持ってそうなカップルが歩いて来たので、藁にもすがる思いで訊いてみました。「分からないけど調べてみます。」とスマホでサクサク検索する二人、有難い…思わず合掌して拝みました。ギャラリーの入り口まで連れて行ってくれ「いつも青い鳥を探している途中なので、急ぎの用事はありませんよ。」と語っていた二人はにこやかに立ち去ってゆきました…。
ひょんなことで「ふれあい旅」的になっちゃったな〜。青い鳥を探しているのか…。君の隣にいる可愛い帽子の女の子が君にとっての幸福の青い鳥では?まあ、気長に探してくれたまえ!私は21才の時に幸子の「幸」をドブ川に捨ててサチコになったのさ!行き当たりばったりで時間を浪費するのはヤメといたほうがいい。命はそんなに長持ちするモノではない!と親切にしてもらったのに腹の底では反発してる、どこにいってもヒネクレ根性なのでした。

天津麺
コスモスクエア駅から市営中央線で森ノ宮駅に移動しました。
大阪城に行く前に、腹ごしらえと休憩です。大阪は王将の聖地!
なので「餃子の王将」で天津麺を食べました。肉が嫌いなので専らコレです。
卵の火の入り方がパーフェクト!麺も固めで美味しかった〜

ビジネスパーク
大阪城のお堀の北東側に「大阪ビジネスパーク」という再開発地区があります。
その数あるビル群のなかでも一際目立つのがこの『クリスタルタワー』
なぬぅ!お前もクリスタルか?功利的成長はクリスタルを目指す!全面ガラスカーテンウォールのフラットな壁面に映り込んだ西の空が騙し絵のようでキレイです。
このキラキラビジネスパークも太平洋戦争時には陸軍工厰の敷地でした。

かつては帝国陸軍の軍都として栄えていた大阪中心部。この大阪城には明治時代には大阪鎮台が置かれ、大正時代には帝国陸軍第四師団に編成されて昭和六年の天守閣再建と同時に、現存している指令本部が竣工されたそうです。城内には明治初期から大阪陸軍砲兵工厰があり、太平洋戦争時には、6万人もの人が勤労する東洋一の規模を誇る軍需工場でした(城外にまで拡張された敷地の総面積は596万㎡!)。戦争末期には空襲の標的になって、工厰内だけでも400人近くの女子工員や学徒達が亡くなったそうです。この時、8月15日の終戦の日の空襲被害が一番ひどかった、というのだから「原爆が戦争を終わらせた」というアメリカの詭弁はやっぱり許せん!

荷揚げ門
クリスタルタワーの対岸に位置する石垣に作られた「大阪砲兵工厰荷揚げ門」
材料を運ぶ船が、そのまま工場内に出入り出来る仕組みになってる。

分析場
「大阪砲兵工厰化学分析場」1919年に竣工されたネオ・ルネッサンス様式の赤煉瓦の瀟洒な建築です。ここでは新兵器の開発や化学実験が行われていました。

鉄の塊
不自然な場所にある「池」は、工場の溶鉱炉から流れ出た鉄の塊だというのがもっともらしい説。そしてこの塊の中には転落事故で死んだ工員が埋まっているという恐ろしい都市伝説…。

京橋口
京橋口にある大阪城筋鉄門の跡と、そこから見える工厰時代の詰め所(たぶん…)
石垣の上に増築されたレンガ塀は明治時代のもの。

城
ご存知、大阪城!

弾痕
山里曲輪石垣の弾痕。1945年の度重なる空襲のさいに、米軍戦闘機の機銃掃射によって撃たれた痕跡が今でも石垣に残っています。(よく見ると丸い穴がポコポコ空いてます)

司令部庁舎
1931年竣工。天守閣復元の資金の大半をつぎ込んで建設され、陸軍に寄付された「陸軍第四司令部庁舎」ドイツの古城をモデルにしたデザインだそうです。たしかにそんな感じ。ちょっと前までは博物館として利用されていましたが、現在は使用されてないようです。

本部門
「大阪陸軍兵器支厰本部門」兵器と兵器材料の保管、修理を担当していた兵器支厰の門。
15万㎡もの敷地内に兵器を格納する多くの倉庫が建設されていたが、戦後に撤去されて、この門だけが残されている。

司令部
斜陽に映える石垣と司令部庁舎。
和と洋の古城コラボレーションはピクチャレスクの趣きです。

…負の歴史遺産(亡者)を求めて大阪をうろついた一日。最後は「亡者の行進」です!
亡者の行進
「亡者の行進」展示会場。新作のペインティングです(タイトルをチェックするの忘れた…)
顔のシルエットの土台は、黒魔術を司る山羊の姿をした悪魔「バフォメット」。それぞれの殺人鬼のパーソナリティーを、ネットで検索して得た情報をモチーフ化し、構成した作品になってます。たとえば緑の顔は津山事件の「都井睦雄」で目が殺した人数「30」になってます!

ペインティングのほかにも映像作品が4点あって、降霊術のように死者を召還して、生前聞けなかった「声」を収録しています(笑える〜)
私のヘタな説明だけでは伝わりませんので、関西にお住まいの方は是非ご覧になって下さい。

松田修展『亡者の行進』 ART SPACE ZERO-ONE(大阪)12/7〜12/28まで
*不定期回廊、予約でも見ることが出来ます。くわしくはホームページ参照!