赤と黒(その2)

赤と黒、そして萩原恭次郎のことを書きかけて、随分しばらく放置してしまいました…。こうやって時間をおいてみると(その1)での概要のいいかげんさに気がついて、なんか続けるのが億劫になってしまいました。しかし宙ぶらりんのまま「後程に」がパターン化するとイカンので、内容の不備は承知で書きますがお許しを〜。
前回で「何の主義にも依らない」ということに帰結した、と雑に書きましたが、もう少し注意深く表現すれば「個人主義的アナキズムの影響を受けて、イデオロギーの範疇に身を置かないことを意識した」というほうが正しいかもしれません。「赤と黒」は四輯で途切れてしまいましたが、その短い期間にかなりの変化をみせます。それが一番顕著に表れているのが恭次郎の作品です。そして、階級闘争と革命にシラケ気味な同人一同が、過程でありながら、葛藤の上で絞り出した「結論」が最終号で表明された『赤と黒運動第一宣言』です。
「赤と黒」の第一輯が発行された1923年当時、壺井繁治27才、岡本潤23才、川崎長太郎23才、萩原恭次郎は25才でした。壺井は早大を中退し入隊したものの「危険思想」で除隊。岡本は渡辺政太郎の遺志を継承した「北風会」に参加、川崎はアナキズム雑誌「熱風」に参加するなど、各自、東京を拠点に思想的な動きに加わっていました。そのなかで恭次郎だけは口語自由詩の第一人者、川路柳虹が主宰する雑誌の同人で割とマジメ。前橋から上京したのも「赤と黒」発行の一年前で、東京デビューしてからまだ間もない頃でした。しかし中学時代から同人誌で短歌や詩を発表してた早熟の詩人は、東京の若い詩人達の間でも評価が高かったようですね。そんな期待もあって壺井から「赤と黒」に誘われたわけです。
…さて愈々「赤と黒」第一輯発行!出入りしてた南天堂の店頭にバーンと並べられ幸先よくスタート。素っ気ない表紙には細い罫線で四角い枠がひとつ、そこには『…詩とは爆弾である!詩人とは牢獄の固き壁と扉とに爆弾を投ずる黒き犯人である!』の過激な宣言文が飾られてます。わ〜、どんなトンガった詩が載っているんだろう?と期待度マックスで第一頁をめくると….。
栄えある巻頭は「畑と人間」という恭次郎の詩です。・・・じみ〜非常に地味!「子供は都会に出ちゃって親だけ寒村に残されて農家はつらい」という内容の詩には、なんの目新しさも爆弾要素も見受けられず、「死刑宣告」でかっこいい恭次郎を知った私としては、同一人物の作品とは思えないほど冴えないダサい詩なのです。(ちなみに他の同人の詩は、社会を呪う都会の若者達の厭世的雄叫びみたいな感じ)これには同人に誘った当の壺井もガッカリしたようで、第四輯の編集後記「同人雑記」にこう記しています。「かつて萩原恭次郎は本誌の第一輯と第二輯に於て農村を取材した地味な詩を書いた….けれども、僕達同人間では、あれにはあんまり感心出来なかった。悪く行くと、ああした詩は萩原自身の生活からだんだん離れて、一種のセンチメンタリズムに陥って行く恐れがあった。…」あんな作品は萩原恭次郎らしくない!という手厳しい仲間からの批判に悩みに悩み抜いた結果、次第に恭次郎の作品は、壺井からも「萩原自身の本質」と評され、後に詩集「死刑宣告」に収められる「騒音詩」が形成されてゆきます。第四輯の「●●」はまさにそういった作品に到達してます。
そして、恭次郎が切り込み隊長として先陣を切った『赤と黒第一運動宣言』は、こりゃ〜たしかに爆弾だ、と納得の声明文になったのです。

狂児
リボンタイと眼力。
自意識をガンガン飛ばしてる萩原恭次郎(狂次郎)