カテゴリー別アーカイブ: 古本

同じ河に二度足を入るゝこと叶わじ

今夏参加予定の石巻市街地展の構想に取り組んでるさなか、昨夜の津波発生でTV画面に大きく表示された『にげて』を目にし、3.11大震災当時の心境に再び揺り戻されるような気がした。(そして今日は阪神淡路大震災から27年)
私があの時(とその後)、心身の混乱と膠着から逃れるために頼った言葉が、松尾芭蕉・笈の小文の序文〈造化にしたがい造化にかえれ〉とヘラクレイトスの思想〈パンタレイ(万物流転)〉で、この二つに通底する反人間中心的な概念と無常の摂理について想いを馳せると、「仕方がない」という諦念が自然に湧いてきて、風まかせでもフラフラ動けばいいや…と心が定まった。

あれから11年経った被災地で展示をするにあたり、私にとって拠所だったこの二つの言葉を改めて勉強しようと思い、関係のありそうな文献を読んでみることにした。本をペラペラめくると早速〈パンタレイ〉の語源が「同じ河に二度足を入るゝこと叶わじ」に由来するとの記述を見つけ、なんと鴨長明・方丈記の序文「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。」にソックリなことに驚愕する。これは偶然か必然か?古代ギリシアから平安/鎌倉/江戸時代へ万物流転…何か因果があるのだろう。

難しい本がいっぱい (たぶん読めない)
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煩悩の表現から真実相への解脱〈止観的美意識〉とは非常に難しいが、悟りの境地に至った名僧への憧れ、それ自体が美意識だというから安心したまえ。出家も遁世もしなくてOK (なので芭蕉も西行リスペクトでOK) たぶんそんなことが書かれている学術誌『美學』

集景中です!

絵葉書中毒が再発し、暇さえあればヤフオクで探す毎日。30年前来の累積が優に千枚は超える絵葉書群に異常性を感じ、そろそろやめなければと思うのだが(病的に)やめられないでいる。まずいことに昨今はネットで入手できるので、骨董市やフリマに出向いて細々と仕入れてた昔と違って急速に(病的に)増えてしまうのだ。露天商から買うのが趣味的な釣りの規模だとすると、ネット落札はソナー搭載の漁船レベルの漁獲量で本日も大漁!

先日掲載の絵葉書 (櫻島勝景〜牛根海岸より望む) 通信面を見ると、切手箇所には西郷隆盛&愛犬ツンの銅像シルエット、中央罫線には「鹿児島市東千石町|俣野 集景堂發行」と版元の所在地と店名が印刷してある。〈集景〉とは何と素敵な造語だろう!私の絵葉書中毒もある意味「風景を集める行為」なので、これに倣って病的蒐集も「集景してる」と言い換えようか?(明治44年創業の画材屋さん〈集景堂〉は今も鹿児島市の天文館にあるという。この大正時代の絵葉書持参でいつか訪ねてみたい)

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3月は古絵葉書の印刷を学びに京都に行く予定!

1914年1月12日

今から108年前まで鹿児島の桜島は名前のとおり四方を海で囲まれた島だったが、大正3年1月12日の大噴火による溶岩流出で対岸の大隈半島と地続きになり現在の姿になったという。このことは先日の新春古書自慢コーナーに登場の(櫻島大爆発) 噴火弾エハガキを調べてみて初めて知った。他にも大量エハコレの中に噴火の記録絵葉書を発見したので、本日「桜島の日」にちなみご紹介しましょう。

〈大正大噴火メモリーズ〉
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(櫻島大爆発) 噴火弾
美しい果物のようにテーブルに並べられた変な石。
この不思議な写真が桜島大噴火の記録だということはキャプションを読まないとわからない
こんな大きな噴石が空から降ってきたら命の保証はないだろう…

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(櫻島大爆發) 横山大噴火
黒い雨合羽の人は噴火に近寄りすぎでは?(当時の火山人気がすごい)
噴煙が恐ろしいこの地区も100年後の今は(特に化石が出るとかではないのに)恐竜公園のある町に!

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鹿児島港海岸より櫻島大噴火を望む
観測所がなかなか避難勧告を出さない中、島民たちは自分の船で自発的に避難したという。
(この写真にも人を乗せたそれらしい小舟が写っている)

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(櫻島勝景) 當時の凄惨を語る大隈櫻島間の水路閉塞の實況(牛根海岸より望む)
船が往来してた瀬戸は溶岩で埋まり、行止りになってしまった水路に佇む男。
長さ400m深さ70~80mもある海峡を1カ月ほどで陸地に変えた溶岩流の脅威!

孤島ノ光リ

〈新春恒例古書自慢会〉
〜膨張する絵葉書セレクション〜

これらは凡そ百年前の絵葉書で造化の天工(驚異の景観)の点景として未だ人間に価値があった時代のものである。恐ろしい風景の中にポツンと捨置かれた男。此人が、21世紀を旅する孤独な我等観光客に何やら喋りかけてくるようだ。招かれて私もいつしか洞窟の客人となる。

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(佐渡國小木港)  魚見海岸ノ大洞窟

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(銚子名所)  孤島ノ光リ

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札幌區大洪水 豊平川臨時渡船の実況

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(櫻島大爆発) 噴火弾

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(陸奥浅虫温泉場名所)  海岸の夕景

パパゲーノ効果

昨今「パパゲーノ効果」と「ウェルテル効果」なる事象が注目されていることを知った。失恋が原因の自殺願望を断ち切った良い例として『魔笛』に登場するパパゲーノ、絶望し自殺してしまった例えとして『若きウェルテルの悩み』の主人公があげられ、繊細で共鳴しやすい若者が、有名人の自殺を伝えるニュースに影響され後追いしてしまう可能性(ウェルテル効果)を危ぶみ、パパゲーノのように思い止まり生還した好例をもっと盛んに報道した方が良かろう…という自殺抑止策の提案のようだ。しかし私はまだ〈倒してもない大蛇を素手で倒したと偽証〉したパパゲーノしか知らず、更にゲーテの『若きウェエルテルの悩み』に至っては1行も読んで無いときた。推量の域ではあるが、おそらくそれは昨夜観たTV能『戀重荷』のような失恋ストーリーなのだろう。(それはこんなお話だった)

…白河院の庭園で菊の下葉を取る担当の老人が、屋敷に住む女御に叶わぬ恋心を抱く。「この箱を持って庭を100回以上周れたらチャンスがあるかも?」との伝言を真に受けて「よし!周っちゃうぞ」と意気込むが箱はびくともせず、持ち上げることすらできない。実は、軽そうに見えるラッピングで装飾された荷箱の中身は異様な重量の謎の物体。「だましたな~」と恨みながらお爺さんは死んでしまいました。そして女御に〈座ったまま動けなくなる呪い〉をかけたのです。「呪いを解きたいのなら私を供養しなさい。そうすれば葉っぱの守護神になるから」とジジイの怨霊は言う。その言葉に従い供養するとあら不思議、無事に動けるようになったのです。…

死に至ってしまうほどの苦悩には同情するが、座りっぱなしの呪いをかけてしまう執念は全く共感できない(私が終日座りっぱなしなのは、むろん呪いの類ではなく単なる怠惰だ)。18世紀に刊行の『若きウェルテルの悩み』は自殺ブームを誘発したため「精神的インフルエンザの病原体」と当時は呼ばれたらしい。同じゲーテの著作なら、もっと生きるのにお役立ちなポジティブ格言集があるので、そちらを参考にした方が若者の為になるだろう。(小説より短いし簡便)

 

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「心を蘇らす泉は自分の胸中から湧いてこねば、心身を蘇らすことはできない」さもありなん。

漫ヨハ入門

最近買って後悔した物に『まんがヨハネ黙示録入門』という漫画本がある。難解な黙示録を漫画でわかりやすく解説してくれるのならコリャいいや!と飛びついたのだが、内容は聖書の学術的解読ではなく、現実世界での戦争や事件、天変地異とハルマゲドン流言を利用したキリスト教布教の書物だった。超レアなおもしろカルト漫画だと勘違いしウッカリはまってしまうと危険だが、おっとどっこい、その手は桑名の焼き蛤。

諸星大二郎作品をうんとラフにしたような絵柄の漫画の中身は、キリスト教以外の宗教はもとより思想哲学までも貶め、さらに敵対する巨大新興宗教団体をやっつけてやろうという憎悪に満ち溢れてる。攻撃があまりにも露骨なので、このステルス作戦は失敗のように見えるが…(これ以上批判すると自分の身に危険が及びそうなのでここまでにしておこう)。この本がクイックジャパン「ぼくたちのハルマゲドン特集号」発売の翌年1996年に刊行ということを鑑みると、オタク界から発生した「ハルマゲドン」が一般社会にまで浸透し、終末観アジテーションが有効だったアブナイ時代性が窺えよう。…書棚に置くのさえ憚れる漫ヨハは、面白い絵の部分だけ楽しんでから目の届かない場所にしまう予定。(入手困難で高値な漫ヨハ所望の人がいたら特価1000円でお譲りしよう)

世界初の試み (!?)
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なかなか良い表紙デスネ

(漫ヨハ名場面集)
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ワン岩に大集合

明治の末頃か大正時代のものと思われるこの写真絵葉書には「丹後湊小天橋海水浴場 第三」と記されており、それを頼りに検索すると現在もサーファーや観光客に人気の海水浴場で、波打ち際の岩も現存していることがわかった。観光案内によると岩には名前があって「ワン岩」と称ばれているらしいが、不思議な名称の由来は不明 (ワンとは何?)。

写真のワン岩には松の木か何かが生えているように見える(君にもそう見えたであろう)。だが違う、よ〜く目を凝らして御覧なさい。岩の上に立っているのは約150名の子供と引率の大人5~6名だ!遊びの中で鍛えられ細く引き締まった体躯、海の子らしくこんがりと日焼けした自然児たちの姿が、潮風に晒された樹木のように見えるのも海岸風景の妙である。

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[丹後湊小天橋海水浴場 第三]
第一、第二も欲しかったが同じ趣味の見えない敵がいたのでコレだけ購入(資料代336円)

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ゴツゴツとした岩の上でバランスよくポージングする児童たちは、背景に馴染みすぎて計測困難(150人以上いるかも?)

持戒

『アニミズム宇宙の旅』と同時期に購入の萱野茂著『アイヌの昔話』には木版画の手作りカバーが掛けられています(写真を見よ)。巨大な植物の種のような頭をした男が自然神を拝んでいると、突如その顔面に「持戒」の文字が現れる…そんな神秘的な場面を描いた掛け紙は、刷り損じ和紙を再利用したリサイクル品で、うまく刷れた作品本体はすでに行方不明(たぶん捨てた)。たまたまカバーに再生したことで学生時制作の不気味作品の(全体像は記憶に無いが)一部分が残されました。

絵に登場の「持戒」という言葉は山村暮鳥詩集『聖三稜玻璃』に収録の詩のタイトルで、カバー版画の着想はこの詩から得ましたが、この美しい5行にはもっと相応しいイメージがあるはずだろうと昔の自分に批評を述べたいです。

「持戒」
草木を
信念すれば
雪ふり
百足ちぎれば
ゆび光り。

 

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ちなみに私の「戒」は以下4点
● 肉を食べない
● 家と車は持たない
● 動物を飼わない
● 石は友だち
今後もしっかり遵守しアニミズム宇宙人or 地底人から選ばれる人間になろう!

アニミズム牧師

詩人・山村暮鳥は極貧の少年時代にキリスト教と出会い、虐げられた人々の救済のために伝道師となって秋田、仙台、水戸などの教会を転転とした。いつからか主の教えに背くようなアニミズム的宇宙観に目覚め、聖書を片手に草木虫魚を信念する異端の問題牧師は、寒村の信者から訝しがられるようになり、礫を打って追われるように教会から教会へ…。幼い掌に握りしめた純銀の小さな十字架は、いつの間にか降ろすことの許されない木偶の十字架となって肩にのしかかっていたのか?病身に鞭打ち丘を目指す足取りは重い。………

現代詩文庫末尾に記された暮鳥の生涯を読んだ21歳の頃は、アニミズム宇宙の旅やニーチェの影響下にあり「反キリスト者に転向すべきだ」と私は思ったが、日用の糧を得るために離職は不可能だった現実を今になって理解する。
万物に対する凡人的認識を超越した宇宙観、高次元感覚の詩集『聖三稜玻璃』は、萩原朔太郎と仲間数名以外の詩人から全否定され (おそらく鋭角すぎて理解不能)、献身的に奉仕した教会からは「何月何日までに結核が治癒しなかったら即クビ」というド氏小説の如きヒドイ宣告をされ解雇。結核が悪化し40歳で他界する直前に『聖フランシスコ』を上梓、そして最後の詩集『雲』の校正を終えたという。動物とおしゃべりできる聖人の夢と、主体を持たない真っ白な雲への憧憬を枕辺に残して詩人が旅立った先は「天国」ではなくたぶん「あの世」。

…と、今日も長々とおしゃべりしてしまったが、虚脱状態から癒える道半ばなのでお赦し願いたい。我らが人に赦す如く、我らの罪を赦し給え!

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『聖三稜玻璃』1915年 人魚詩社より刊行(これは復刻)

(この犬は人語を喋りそう)
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山村暮鳥 西群馬郡棟高村生まれ
明治17年(1884年)~大正14年(1924年)

良い時代

この悪筆が不気味な本カバーを剥いた中身は、岩田慶治『カミと神 アニミズム宇宙の旅』講談社学術文庫で、普通の本屋さんで買った本だ。ザラ紙と和菓子の包装紙でオリジナルカバーを制作したのは今から30年近く前になり、この本を手に取るのはすごい久しぶり!どんな内容だったかチョロっと読んでみると、ぼんやりとした記憶が少し蘇ってきた。
…精霊(カミ)に会うために東南アジアの奥地を旅する岩田先生が、人間以外の草木虫魚の魂や、現世と他界のコスモの在り処について考える内容だったかな…。川のほとりで目を瞑るワニは、寝てるようだけど本当は全身に宇宙感覚をみなぎらせているのでは?といった自問に心躍らせ、その疑問に対し時には芭蕉や子規、正法眼蔵など引っ張り出して考察する、いわゆる文化人類学に分類される書物だったような…。

この本を購読したのは、ひとつ年上の兄が早稲田大学文学部在学中(卒論テーマは山伏)だったときに、当時の文化人類学ブームに感化されたのか、レヴィ=ストロースや山口昌男や谷川健一などの本を「読め読め!」と推薦(無理強い)してきたのがきっかけだ。だが私は読書が苦手なので貸してくれた本はたぶんちゃんと読めてない (『常世論』に登場する補陀落渡海の話が怖かったことをなんとなく覚えてる)。そんな影響を受けつつ、兄推薦でない文化人類史本が欲しくなり自分で選んだのが岩田慶治の著作だった。先生の反人間中心の視点や考え方に共感し、このような自作カバーをこしらえて大切にしていたのだ。
30年前はごく普通に一神教=神か?多神教(八百万)=カミか?など論じ、宇宙観の構造についても派閥があったり、虫の霊魂について考えたりと呑気な学問が盛んで本当に良い時代だった。みんなが賢くて平和だったような気がする。昔が理想的に見えるのは加齢のせいだろうか?

1989年刊行『カミと神 アニミズム宇宙の旅』
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宇宙開発には大反対だが、アニミズム宇宙の旅なら大賛成!

(折口 コスモスvs 柳田 コスモス)
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昨年夏、コスモアイル羽咋(UFO資料館)見学のついでに折口信夫&春洋の墓参りをしなかったことが悔やまれる(蒸し暑かったあの日、墓標に手を合わせてたら折口 コスモスに入門できたかも?)