アニミズム牧師

詩人・山村暮鳥は極貧の少年時代にキリスト教と出会い、虐げられた人々の救済のために伝道師となって秋田、仙台、水戸などの教会を転転とした。いつからか主の教えに背くようなアニミズム的宇宙観に目覚め、聖書を片手に草木虫魚を信念する異端の問題牧師は、寒村の信者から訝しがられるようになり、礫を打って追われるように教会から教会へ…。幼い掌に握りしめた純銀の小さな十字架は、いつの間にか降ろすことの許されない木偶の十字架となって肩にのしかかっていたのか?病身に鞭打ち丘を目指す足取りは重い。………

現代詩文庫末尾に記された暮鳥の生涯を読んだ21歳の頃は、アニミズム宇宙の旅やニーチェの影響下にあり「反キリスト者に転向すべきだ」と私は思ったが、日用の糧を得るために離職は不可能だった現実を今になって理解する。
万物に対する凡人的認識を超越した宇宙観、高次元感覚の詩集『聖三稜玻璃』は、萩原朔太郎と仲間数名以外の詩人から全否定され (おそらく鋭角すぎて理解不能)、献身的に奉仕した教会からは「何月何日までに結核が治癒しなかったら即クビ」というド氏小説の如きヒドイ宣告をされ解雇。結核が悪化し40歳で他界する直前に『聖フランシスコ』を上梓、そして最後の詩集『雲』の校正を終えたという。動物とおしゃべりできる聖人の夢と、主体を持たない真っ白な雲への憧憬を枕辺に残して詩人が旅立った先は「天国」ではなくたぶん「あの世」。

…と、今日も長々とおしゃべりしてしまったが、虚脱状態から癒える道半ばなのでお赦し願いたい。我らが人に赦す如く、我らの罪を赦し給え!

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『聖三稜玻璃』1915年 人魚詩社より刊行(これは復刻)

(この犬は人語を喋りそう)
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山村暮鳥 西群馬郡棟高村生まれ
明治17年(1884年)~大正14年(1924年)