「週刊金曜日」ってコンビニに置いてないんですね。久しぶりに普通の書店で買い物をしました。
もっぱらアマゾン、ヤフオク、古書会館、ブックオフでしか本を買わないので…。
「闘うアート」特集はポリティカルな傾向の文化記事です。中立、中庸が美徳とされる世の中ですが、バンクシーのような衒いのない正義(シンプル!)中庸モラルを破壊する超弩級モラルもよろしいかと思います。わたしは以前、C↑P卯城くんに「日本のバンクシー」と称されたことがありますが(もったいない!)見出しに名前が並んだだけでも光栄です。
戦時中に京都の喫茶店で販売されていた「土曜日」という隔週誌があります。反ファシズム文化運動の中井正一、久野収らが中心になって刊行していた市井の庶民向けのレジスタンス誌です。
「土曜日」という誌名は、フランスの人民戦線機関誌「金曜日」に倣ったそうですが「週刊金曜日」もそこから由来してるのでしょうか?「土曜日」は昭和11年から12年までのたった一年間あまりしか刊行されませんでした。というのもこの喫茶店で頒布する方法が特高の目にとまり、関係者のほとんどが検挙、拘置されたため、廃刊を余儀なくされたからなのです。
この「土曜日」創刊号の表紙に掲げられた中井正一の文章『花は鉄路の盛り土の上にも咲く』が大好きです。「はばかるところなき涙が涙ぐまれ、隔てなき微笑みが微笑まるる夜である。」集い、談笑することさえはばかれる世情のなかでさえも「自由」を堅持する逞しさと美しさを感じます。
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「花は鉄路の盛り土の上にも咲く」
しぶく波頭と高い日の下に、一杯の自分の力を信じた冒険者達のように、かつて人々は生きたことがあった。今は冷たいベトンの地下室で、単調なエンジンの音を聴きながら、黙々と与えられた部署に、終日を暮らす生活が人々の生活となってきた。
営みが巨大な機構の中に組入れられて、それがなんだか人間から離れてきたようである。明日の望みは失われ、本当の智慧が傷つけられ、まじめな夢が消えてしまった、しかし、人々はそれで好いとは誰も思っていないのである。何かが欠けていることは知っている。しかし、何が欠けているかはさだかには判っていないのである。人々が歪められた営みから解放された時間、我々が憩う瞬間、何を望み、何を知り、何を夢見て好いのかさえもが忘れられんとしてるのである。
それは自分に一等親しい自分の面影が想出せない淋しさである。美しいせせらぎ、可愛い花、小さなめだかが走っている小川の上を覆うて、灰色の鉄道の線路が一直線 に横切ったとき、ラスキンはすべての人間の過去の親しいものが斜めに断切られてしまったかのように戦慄したのである。しかし、テニソンはそのとき、芸術は自然のごとく、その花をもって、鉄道の盛土を覆いうると答えたのである。
この鉄路の上に咲く花は、千鈞の力を必要としたのではない。日々の絶間なき必要を守ったのである。 我々の生きてここに今いることをしっかり手離さないこと、その批判を放棄しないことにおいて、始めて、すべての灰色の路線を花をもって埋めることができるのである。『土曜日』は人々が自分たちの中に何が失われているのかを想出す午後であり、まじめな夢が瞼に描かれ、本当の智慧がお互に語合われ、明日のスケジュールが計画される夕である。はばかるところなき涙が涙ぐまれ、隔てなき微笑みが微笑まるる夜である。
「土曜日」創刊の辞・1936年7月4日
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「芸術は自然のごとく、その花をもって、鉄道の盛土を覆いうる」…バンクシー作品「FLOWER」を彷彿とさせるこの一文!「批判を放棄しないことにおいて、始めて、すべての灰色の路線を花をもって埋めることができるのである。」そのとおり!異議なしです。

