カテゴリー別アーカイブ: 古本

処刑ゲルト

ドイツ語でNotは緊急、Geldはお金という意味のノートゲルトは、謎の図像多数で大変に魅力的!(なので集めすぎちゃう) 本日ご紹介の1マルク紙幣に描かれているのは何と処刑 (私刑?)。
十字架と聖書とロングソードの置かれた寝台の前に連れてこられた善良そうな男を、頭巾をすっぽり被った黒装束のカルト集団(ドイツ騎士団だろうか?)が断罪している場面。樹木の枝には絞首刑用のロープが掛けられ、男の背後には、ひときわ長身の騎士のような姿の死刑執行人が待機している。紙の左側には「ブルッフハウゼンの聖なるテーマ」と書いてあり、首吊りロープでマルクの文字が…どうしてこれが「聖なるテーマ」なのか、てんで見当がつかないが、ヨーロッパにおける騎士団の長い歴史に関係する宗教的内容か?(お札にこのような不穏な絵を描く時代背景が知りたい。どなたか知らないか?)

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ほのぼのタッチなのに怖い!裏面にはブルッフハウゼン発行の証しが印刷してあり、誰かがふざけて発行したものではない。

(黒頭巾に見覚えがあると思ったら)
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第三帝国をロックンロールで表現したアルバム、The Residents『ザ.サードライヒンロール』のジャケット中写真に似てるね!(こちらはスワスチカが不穏もしくは不穏当)

『死後無限を凝視するその眼』

去る8月の夕方。ニコタマのカフェーで友人から聞いた話によると「品川にある食肉市場の横を深夜に通ると、屠殺される牛や豚の断末魔の叫びが聞こえる」というのだ。私はこの身の毛のよだつ話で、或る小説の一節を想起したのだった。それは19世紀末に書かれたヴィリエ.ド.リラダンの小説『トリビュラ・ボノメ』内の〈クレール・ルノワール(四、不可思議なる記事)〉で、主人公のボノメ博士がサン.マロの港のカフェーで偶然目にした古新聞の不思議な報道記事である。

『パリ科學學士院は、最近最も驚くべき一事實の眞實性を確認するに至つた。我々の食用に供せられる動物、例えば羊、牛、子羊、馬、猫の如き動物は、屠殺者の鐡槌なり庖丁なりの打撃を加えられた後に於いても、そのいまはの際の視野に宿った物體の印象を眼底に保つものであるといふことが、今後はまぎれもない事實となつたわけである。舗石とか、肉屋の爼だとか、下水流しだとか、とりとめもない様々な物の形が、そのまま〝撮影〟されるわけであるが、その中には殆ど常に、手を下した人間の面影がはつきり寫つて居るといふ。この現象は、肉體的腐敗に至るまで持續するものである。』

以上の記事を読んで、奇妙な感慨に打たれたボノメ博士は、自身の変態的嗜好も相まり終いには『死後無限を凝視するその眼』を検証するまでに至るのだが、もしも、このリラダン伯爵の想像した〈眼底に断末魔の光景を焼き付ける写真〉が本当に発明されたならば…。この世の虐殺場面の真実は、犠牲者の眼球につぶさに記録され、子供及び動物への虐待の抑止につながることであろう。と私は思うのだ。(そして皆様は死んだ牛の巨大眼球を覗き、以後は肉食をやめるであろう)
 

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5年前、青森ACAC滞在中に弘前の古本屋で偶然手にした『トリビュラ・ボノメ』

(2021年の抱負)
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3年前に揃えて未だ1頁も読んでいない『リラダン全集』は、電車内はおろか寝床でも読めないほど大型で非常に重たく、読書環境は卓上に限られている。(来年は読もう!)

ノートゲルトに夢中

私の新しい紙モノ趣味は〈ノートゲルト〉というドイツやオーストリアの古紙幣の収集です。これは第一次大戦期から戦後の混乱期に、地方自治体や地方銀行などで発行されたハイパーインフレ対策の緊急紙幣だそうで、超インフレでいくら本物の紙幣を刷っても追いつかない上に資源の無駄になるので、地域内だけで流通する手作りお札を暫定的に作ったというワケ。
本当にこれがお金として使えるのか?と目を疑うような色とりどりの美しい紙切れには、古城や田園などクラシックな風景画や、童話や伝説の挿絵、農業や工業のイラスト、さらには世相を風刺した絵などが印刷されバラエティー豊富!ノートゲルト入門したばかりで、いまいち価値がわからないので、面白い絵やタイポグラフィの優れた緊急紙幣を(散財しない程度に)集めてまーす。

(集めてもかさばらないペラペラ小型紙幣の誘惑)
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この緊急紙幣は本来の用途を超え、発行当時からコレクションアイテムとして大流行し、発行元として架空の市町村が登場したり、また、集めて楽しいように4コマ漫画風のシリーズ物などが作られたという。(ドン底でも能天気で文化的なワイマール時代の不思議さよ)

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4コマ漫画風のドラゴン退治・暴風雨・かっこいい死神
下段の左の25Pf.の絵は「溺れる者は藁をも摑む」の諺だろうか?
右は屋外排便のシーンが美しい装飾的な線で描かれている(1マルクの1がウンチ!?)

永遠の弁慶縞

『永遠の弁慶縞』…とは魔の山登場のセテムブリーニ氏が、四季を通して更には主人公の滞在期間(7年)のあいだ一度たりとも衣装替えしなかったズボンのことで、その徹底した清貧スタイル(永遠の禁欲)に敬意を表したハンス.カストロプの言葉である。
〈弁慶縞〉は、江戸で流行った所謂ギンガムチェックで、セテムブリーニ氏のような20世紀初頭のイタリア人と〈弁慶縞〉の組み合わせを奇異に感じた私は、ドイツ語版魔の山を取り寄せて調べてみた。氏の服装を描写した記述〈hellgelblich karierten Hosen〉で検索すると「明るいベージュ色のチェック柄ズボン」というのが正しいようだ。 kariertenは格子模様(チェック柄)全般を意味し、弁慶縞に限定したものではないということが解った。やっぱり何だか変だと思った。(ヨーアヒムもヨーと伸ばさずヨアヒムが一般的だと思う)

永遠のロマン(小説)
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コラージュ・ロマン(小説)は1日で読める。
デア.ツァウバーベルク・ロマン(小説)は231日かかる。

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Satana(悪魔)の場面で氏の風変わりな清貧ファッションが紹介されている。(ドイツ語で全く読めないけど)

これは失敗

新即物主義的かつ爆発的な絵画の表紙を見て「これは良い画集にちがいない」と早合点し、全文英語のペーパーバックを買ってしまった!落ち着いてタイトルを読んでみたら「インペリアル ジャーマン アンド ザ グレートウォー1914-1918」…美術の本ではなくドイツWW1史の本だった。少しは図版が載ってるかな?と期待したものの、1910年代の古い軍装をした高官3名が地図を見て何かを相談してるツマラナい写真一枚しか無く、あとは攻略を図にした簡単な欧州地図数点のみ。
日本語でも分かりづらい第一次世界大戦の歴史は、英文と簡略な地図でさらに理解不能な久遠の境地へと去る。(今度は学童向の漫画本で勉強しようと思う。この本は英語が読めて第一次世界大戦に興味のある人にあげる)

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さっぱり「?」です。

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見た目の良い本。中身は読めないから不明(どなたか要らないか)

〈GoTo出張〉
明日25日は金沢21美術館でトーク会です。
暴走列車GoToトラベル政策とは無関係・防疫に配慮した静かな会を予定!

肺と告白

この悪事を今まで誰にも告白してないのですが…実は中学1年生の時に、わざと肺炎に罹りました。
そんな不正を犯したのも学校を完璧に休む為であり、夜間の発作で酸欠状態になり、昼間はボーっと気力なく怠惰に見える喘息では、如何せん病人の迫力に欠けるので、医者から「絶対安静」と告げられるように或る努力をしたのです。それは寒空の下での天体観測で体を冷やし、より体調を悪化させるという浅はかな計画で、毎夜双眼鏡で星を眺めた成果はレントゲンによって透写され、私の肺には白く不吉な星雲が出現した!これで学校関係者やご近所から仮病の嫌疑をかけられず正々堂々と療養生活ができるというものです。(今更だけど親不孝をお許しください…)

『魔の山』のハンス・カストルプ君は、結核の罹患証明(X線写真)を得たことで、いち見学者から正真正銘のサナトリウム住人に昇格したことを密かに喜んでいたが、私にはその気持ちがよくわかる。本日より自粛生活が解消され日常に戻る皆さまも、半病人のような暮らしに慣れて登校拒否児のような心境なのでは?とお察しいたします。

(肺病は深刻)
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(左)ニューヨーク・デンバー社の薬品広告冊子『肺炎』は、表紙の穴から肺臓が覗く不気味な作り。
(右)昭和14年発行/結核豫防會『療養讀本』からは結核治療の大変さが伝わる。
…「妄りに病気に罹るような巫山戯た真似は止し給え」と昔の私に忠告したい

幻の中止グッズ

123日後に予定どおり開催されるのか?未だ蛇の生殺し状態が続く東京オリンピック。海外からは延期か中止の声が大きくなり、年内開催はもはや死に体….。購入済みの高額観戦チケットや、すでに『2020』と印刷された物品の山を前に「これは悪い夢にちがいない!」と多大な損失に頭をかかえる人が大勢いるのに、よくも悪夢の現実を「呪い」だと軽々に言えたものだ。(この災いを招致したのは他でもない君達だ)
黒ダイヤ太郎の都市伝説〈40年周期の呪い〉の真偽はさておき、本日は1940年に頓挫した2大イベント『紀元2600年記念日本萬國博覧会・東京オリンピック』のグッズをご紹介しましょう。お祭り気分を強行した結果どうなるか?中止は非科学的な呪いではなく必然だったといえよう。

1940年オリンピック(中止)グッズ
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五輪年賀状とオリンピック会場建設のコンペ資料(早大理工学部の競技場デザインはインターナショナル様式風でオシャレ)

紀元2600年万博&都市博(中止)グッズ
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上の鳥瞰図絵葉書は、東京湾の臨海埋立地に建設予定していた『紀元2600年記念日本萬國博覧会』の会場予想図。そして左のキーホルダーは〈東京大使〉という名前の都市博公式キャラクター。1996年開催予定だった国際都市博覧会(都市博)もまた、同じ臨海地域が会場のはずだった(お台場はその名残)。この頓挫の歴史を重ねた不吉なウォーターフロントに建てられたTOKYO2020選手村の運命や如何に?

下は 「萬國博覧会・回数入場券(12枚綴)」で、博覧会が中止になったのでもちろんこれも無効に…と思いきや、なんと!! この券一冊で、1970年大阪万博もしくは2005年愛・地球博の招待券2枚と交換できたのだというから良心的ですネ。2025年大阪万博でも使用できるかな? (一度夢破れた夢洲に東京フロンティアの不吉な影が重なる)

菩提樹

肺病の従兄を見舞いにダボス高地のサナトリウムに行ったハンス・カストルプ青年は、ちょっとした余暇のつもりで3週間の短期滞在を予定してたが、現地で自分も結核患者だと判明、何と7年間の長期滞在をすることに!「死を意識した病人は思慮深く高尚にちがいない」という新参者の先入観は、「病気は人を選ばないし、病が人を成長させることもない」というセテムブリーニさんの説で見事に論破される。肺病の従兄の横でお気に入りの葉巻を「美味い美味い」と吸っていた青二才のハンス・カストルプ君は〈中略〉このセテムブリーニ先生の薫陶を(7年も)受け立派に成長したが〈中略〉第一次世界大戦開戦により、急転直下、激戦地に送り込まれ、自分の軍靴が戦友の手を踏みつけてもなお前進し、自失状態でシューベルトの『菩提樹』を口ずさみながら読者の前から姿を消すのである。彼の最後の一声は「枝は…そよぎぬ、いざなう…ごとく…」で次の歌詞「来よ、いとしとも、ここに幸あり」に続く前に途切れてしまうが、この墓標に刻むのに相応しい一節が彼の命運を暗示しているように思える。(虚しい結末に感動する前にちゃんと経緯を読もう。『魔の山』途中下山の予感が!)

(ここに帽子あり)
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面をかすめて 吹く風寒く
帽子は飛べども棄てて急ぎぬ…

魔ノ山ノボレ

お正月に今年の課題図書はトーマス・マン『魔の山』と決定してからどれだけ読めたかというと、上巻下巻の計1233ページのうちの260ページしか読んでない。(富士山で例えると2合目ぐらいまでしか魔の山を登ってない換算になる)。私は以前、ドストエフスキー『悪霊』を上巻で挫折し、その後再び読もうと思ったが内容をすっかり忘れたので諦めてしまった経験がある。挫折の一因であるあのペラペラと饒舌なピョートルのお喋りに付き合う気力はもう無い。
『魔の山』にもピョートルと負けず劣らず饒舌な人物〈セテムブリーニさん〉が登場するが、この同じ服ばかり着てる啓蒙主義者の喋るお話は軽妙かつ意味深長なので、若いハンス・カストロプ君が思索のヒントがあるのでは?と傾聴を心がけるように、読者の私も聞き入ってしまう魅惑的な語り口だ。(だが油断は禁物)今は好感度の高いセテムブリーニさんだが、彼の西欧合理主義の一端を見てガッカリし、またもや読破できず途中下山の恐れも否めないのだから。

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『魔の山 』(上/下) トーマス・マン作
関泰祐・望月市恵訳 岩波文庫

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途中下山の危機が訪れても内容を忘れないように記録することにした。
「ドイツのモラトリアム青年ハンス・カストルプは、結核に侵され将校の夢を中断された従兄弟ヨーアヒムを訪ねて、スイス高地の高級国際サナトリウムへと旅立つ。初めて目にする病人の楽天地に異様な興奮を覚える。40p」「孤児ハンス・カストルプは、幼少期より裕福な親族に養われ品位を重んじているが、性質はニュートラルで単純である。56p」などなど
ショーシャ夫人との関係、ヨーアヒムとセテムブリーニさんの安否、結末がどうしても知りたくて、このように飛ばし読みをしている。(ヨーアヒム君は天に召され、徴兵で下界に降りたハンス・カストルプの運命は、戦場で死神の管轄に落ち安否不明…終。)

最後のイチゴ

先日のパーティはお喋りに徹するあまり(目の前に鯛のお頭付きなど豪勢なご馳走が並んでいるのに) イチゴをたった一粒食べただけでお開きになってしまった。私はショートケーキ天辺の装飾イチゴは最後に食べる派だが、単体一粒では寂しすぎる。しかしまた、至福のときの終わりを知る最後のイチゴにも寂しさがある。
新年最初の荷として届いて以来、本棚に祀られている詩集『尾形亀之助全集』に収められた散文〈庭園設計図案(或る忘備帖)〉はまさに最後のイチゴのような存在だ。

何年間も欲しい欲しいと恋い焦がれつつ、高額書籍購入に二の足を踏んでるうちに更に価格高騰!大人気『尾形亀之助全集』の市場価格は2万円を超えてしまった。(ところが!!) 昨年末ヤフオクに100円スタートで出品されてるのを発見し(なんと!!) 6,546円で落札できた!(やったね!!)。
しかしあまりにも長い間この本に執着しすぎたため、入手したら有難味がありすぎて開くことすらできずにいる。特に全集にしか収録されていない〈庭園設計図案〉を読んだら積年の願望は成就しツマラナイ気持ちになりそう。なので未だ最後のイチゴは食べないままだ。

尾形亀之助全集 (思潮社 1970年 )
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己の感覚のみを尊重した偉大なる役立たず。
画家の才能がありながら役立たずの先鋒=詩人に転向した絶望的天才!