神田カルチェラタン

ベンサムの幸福計算もマルクスのユートピアも信じない、水晶宮を建設する資材の何れにもなれない。ドストエフスキー『地下室の手記』の男は私と同類の社会不適合者だ。この引き篭もり中年による独白(陰鬱な小説)はボタ雪の追憶から始まる。その場面を彷彿とさせる昨夜の雪に乗じて、私も昔のことでも思い出してみようか….

先週の金曜日午后、O JUNさんの美しい新作を見るために神田小川町へ行った。私は32年前に小川町にある古書会館で入札会の雑用バイトをしたことがあり、この街を歩いてると当時の記憶が蘇ってくる。

大学3年生の兄が所属してた早大美術サークルのバイト先だった神田古書会で「人手が足らない」ということで私も駆り出されたのだが、仕事覚えも要領も悪くかえって邪魔だったような…早大生と底辺美術学生の差を痛感するばかりのバイトだった。(近代文学館が高額入札した夏目漱石の生原稿など見れたのは面白かった)

滅多にないインテリ学生とのふれあいで印象的だったのは、4年女学生の「人間への憎悪が残っているので肉は食べられない」という発言で、偏差値を超えて私は激しく同意した。

建物ばっかりの思い出フォトアルバムより
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かつて神保町2丁目にあった〈東洋キネマ〉にはダダ建築という素敵な仇名が付いていた。私はこの支離滅裂な装飾が大好きだった。

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タテカンが健在だった頃の明治大学。シュプレヒコールが聞こえてきそうな厳つい学府はもうない。(だがアイアンメイデンはまだいる)