グーグルに記憶を尋ねて

「パズルみたいで具象でも抽象でもない、アール・ブリュットのようでそうではない絵を描いてる人って誰だっけ?えーっと名前が出てこない…」と記憶力減退が顕著な今日このごろ。私が思いついた解決策は、うろ覚えの絵の似顔絵を描いて写真を撮り、グーグルフォトの検索機能で探してもらうという方法だ。

パズルの寄せ集めみたいな黒い輪郭線にたまに縞々、の似顔絵を描く→検索。
答え「ジャン-デュビュッフェ」でした。
そして新たな謎。じゃあ私がデュビュッフェだと勘違いしてた黒いバサバサした輪郭線の画家の名前は?似顔絵→検索。答え「ビュッフェ」でした。

超便利!しかしこれは似顔絵の再現力が問われる方法だ。試しに他の画家でも検索してみたよ。当たるかな?

「私は誰でしょう?」
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 デュビュッフェ君でした

「では私は誰でしょう?」
IMG_0326ビュッフェさんでした

「あなたは誰のつもり?」
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ロットルフの木版画のつもりでしたが、検索結果は✖️
むしろ枝野幸男氏に似てる。

「あなたは?」
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ヘッケルの木版画を思い出して描いたけど微妙な結果。
棟方志功の二菩薩釈迦十大弟子が検索結果に出てくる。なぜに?

「あなたは?」
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ペヒシュタインの素描のつもりで描いたが全然ダメ。
ていうか、元の記憶が間違いで、ペヒシュタインでなくヘッケルの絵だった!

(ブリュッケの画集より)
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記憶はこの女の子でした。ヘッケル作です。

交通事故と美術の鑑賞

昼食後のコーヒーを飲みながら心静かにCD(ニーチェ歌曲集)を聴いていると、窓の外から「グワシャーン!ガガガがガー」とただならぬ衝撃音が!え何?事故かな…と障子を開けたら、横から自動車に突っ込まれて停車する東急バスの車体が塀越しにあり、オロオロと頭を抱えて右往左往する乗用車運転手の姿が見えた。

「やっぱり人間はピンチに陥ると頭を抱えるんだなぁ」と変な感動を覚えて私は外に飛び出した。そして、運転席側面がベコっと凹んだバス/バンパーがべろっと捲れた自動車/続々と集まる小学生野次馬をしっしと追い払う婦人警官/通行止めをくらった後続車の列を見る。
幸い怪我人は無く、バスの乗客たちはゾロゾロと降りてきて、呑気に壊れた車を見物してるのだった。事故現場には涼しい風が吹き長閑…。

「こんな爽やかな日はお出掛けをしなくちゃ!」とふいに思い立ち、会期終了が迫る須田国太郎展を観に行くことにした。家から世田谷美術館まで徒歩30分でちょうど良い。

「1階は撮影OK!」と受付で撮影を勧められた。 IMG_0410遠慮なく撮影。いい絵たくさん!

IMG_0412ほんと良いよね。イヌワシ

IMG_0427こういう油絵を描きたい。油絵具もってないけど。

IMG_0422めろんとかぼちゃ (訂正: めろんと西瓜でした)

IMG_0430砧公園。こういうどうでもいい風景を描いてみたい。

 

雨に唄えば

雨足とはよく言ったものだ。本当にバタバタと遠くからこちらへ近づいて来るのが足音のようによくわかる。
遠方の台風(のちに熱帯低気圧)から千切れ飛んでくる雨雲の通り道となった我家の上空には、何度も何度も雨雲が来ては去り、時折り不気味な雷鳴も連れてきた。こんな忙しない荒天の日は(たぶん雨音で声が掻き消されるから)家で演歌を存分に歌おう。大声で!

おれは河原の枯れススキ♪同じお前も枯れススキ♪
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藤圭子『人生・昭和を歌う』CD全21曲をフルコーラス!
おとなしい観客の諸君。私の十八番、網走番外地/かえり船/船頭小唄/裏町人生はいかがだったかな?

雨にぬれても(台風10号余波)

一昨日の深夜は、枕崎のライブカメラの配信に夢中。それは暴風雨に晒される一本のヤシの木の姿なのだが、倒れそうで倒れないヤッシー君の奮闘ぶりから目が離せず何時間もボーッと視聴した。
昨日の深夜は、多摩川が増水する様子を定点カメラで何時間も観察。幼少の頃より親しんだ二子玉川の川原がどんどん水で埋まっていく状況にハラハラ!よく登って遊んだ兵庫島という名の小山は、水位が6mを超えて氾濫注意報が出た頃に本当の島になった。

「水に浮かぶ兵庫島が見たい!」この抑えきれない欲望を実行すべく、目覚ましを5時に設定し、田園都市線始発に乗って駅のホームから見ようと計画。
そして早朝に目を覚まし枕元のスマホで二子橋の現状を確認。紫色の薄明りに映えるたっぷりと水を湛えた川面を眺めて何だか満足してしまい「雨降ってるし止めよ…」と二度寝を決め込んだ。こうして不謹慎の誹りを受けそうな行動は無事に回避できた!

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島になった兵庫島

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雨が止んだので商店街へ。豪雨に打たれ続けた果てにMAXブヨブヨになったコーラグミが落ちてたよ。3
倍以上に膨張した巨大グミを君はみたことあるか?

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雨に濡れたRも落ちてた。もちろん拾った。
雨に濡れても…ロバート・レッドフォードのRかな?

平和と丸腰ダンス

〈パリ五輪大会の新種目ブレイキンを見て〉
円形ステージで対峙する2人。睨み合い一触即発の雰囲気(え?ケンカ?!)…という小芝居を披露。そして「じゃあ俺から」と阿吽の呼吸でダンスが始まり、DJの即興音楽に合わせクルクルと背中で高速回転したり、宙で足をビシッと静止させたりを繰返す。敵は傍らで見守りながら時折「ほら今ミスった」と床を叩いて揚げ足取り。そんな嫌味な挑発行為をしてたのに、両者の演技が終わると「お前やるじゃねえか」とハグをして讃えあう…。
この様式化された一連の所作に「お相撲みたい」と感心した。バトルであっても平和に終わるお約束は儀式のようで後腐れなく清々しい。

私は30年前に漫画『空手バカ一代』にハマって、大山倍達が戦後の空手を「空手ダンス」と揶揄し憤慨する姿に共感していた。寸止めのカタを競う空手なんて骨抜きされたパフォーマンスだと・・・しかし今回の丸腰ダンスを見て、非暴力の意義をあらためて実感「一撃必殺を実践したらいけない!」
空手もブレイクダンスも柔道もフェンシングも命を賭けるものではない。ましてや国など背負ってやるものでもなく、民族文化の盗用など騒ぐのもナンセンスだ。
空手ダンス上等!世界のあらゆる抗争を「闘争的小芝居からの和解」という様式美を尊ぶスポーツにしたらよい。

ギャングスタ、それもポーズ。
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MONEYネックレスは四半世紀まえに福祉バザーでゲット(¥200)

3度通過する金曜日

「けこぼ坂上で下車だ」と、バス車内の電光掲示板と車窓を注視していたのにうっかり見落とし通過…終点の目黒駅ひとつ前の「権之助坂」まで来ちゃった。

目的の青山目黒からずいぶん離れてしまい「どうしようかな」と、炎天下の路上で目を泳がせていると、目黒区美術館のポスターが見えた。
「武井武雄展をやってるのか」と、絵本でみた左右非対称のこわい顔を想い出しちょっと気が引けたけど、偶然(失敗して)近くまで来たので観ることにした。『地上の祭』という不気味で素晴らしい銅版画の本は、原画ではなく資料写真の展示で残念だった。

それから徒歩で大小の坂を上り下りして青山目黒に着いた。巷で大評判の展覧会〈なくなる〉を楽しく拝見。言葉のセンスに斬り殺されそうになったが、青山さんが作品の紙をくれたので生き返り、ホクホクした気分で帰りも行きと同じ路線のバスを待つ。

「パクチーを買って帰ろう」と、乗ったバスは私の町を迂回して隣の町に着いた(また失敗)。売切れのパクチー以外の買い物を抱え、谷山浩子の『地上の星座』という寂しい歌を歌いながら夜道をトボトボと歩いてたが、スマホが発する大音量のアラートに驚かされ立ち止まる。
震度3の地震は私の知らない間に地上を通過した。バスは目的地を2度通過した。合計3度も通過した1日だった。

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(絵の具もイーゼルも持ってないのに)

美術館及びギャラリー関係者、画家の先輩などに「たぶん2~3年後にペインターデビュー」と予告してまわる今日此頃。
どんな絵を描きたいかはもう決まってて、どうゆう風に描くかは未定。そして、絵筆を持つ前に、絵を描くことの必然性、即ち「理 (ことわり)」について深く考察し決めておきたいと思っている。なぜかというと、考えに考え抜いたその先に「ぜんぜん理解の及ばぬ変な絵」爆誕の予感があるから。
すっごい時間がかかりそう…いや、それもよかろう。私はタブロオの工場長になる予定はない!(インスタに自動で流れてくるあの人達は何者?)

勉強になる江戸時代の華道〈松月堂古流生花乃傳圖〉
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天然の枝を理想=五輪塔の法則に重ねて…IMG_0048

湾曲した枝に五輪塔の方が歪まされ譲歩することに!
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(五輪塔へのリスペクトは何処へ?) 絶対美の主宰者も好事家のエゴには勝てぬ。厳格な理とその逸脱、そういう絵が見たいし描いてみたい。

Bad Morning!Tokyo

来週火曜日(16日)から有楽町CADANにて、個展「Bad Morning!Tokyo」を開催します。
昨年4月から担当してきた朝日新聞朝刊〈論壇時評〉のカットを、先月までの掲載分15点を展示します。それと、時勢を鑑みた出品「肺の森」シリーズから2点(塹壕戦とクリスマス休戦)を選んで加えました。

〈論壇時評〉の挿絵には「現代をイメージした作品を毎月掲載〉という一文が添えられているのですが、私自身は特に風刺画という意識はなく、今描きたいことを割と自由に描いてます。とは言え、巨大な読者勢の中には過敏な方もおられるかも知れないので、(予防線的な)配慮もしているのです。どうです大人になったでしょう?50過ぎだけど!

昨年の「ダム調査の潜水夫が宇宙開発の一員となり月に進出=侵略する」ストーリーの連作では、先住ウサギを攻撃する武器の機関銃がよろしくない、という指摘で2ヶ月間NG!! なぜかというと「安倍晋三暗殺を想起させる」という理由だったのです。私は機関銃を自走砲に描き換えてこのピンチを脱出…!

ご時世とピッタリ合いすぎても遠く離れすぎてもいけない、そんな距離感を遊びつつ現代をイメージし作画してみました。何卒ご高覧くださいませ。

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Bad Morning!Tokyo
2024年7月16日(火) – 8月4日(日)
会場:CADAN有楽町 Space L
営業時間:火−金 11時−19時 / 土、日、祝 −17時
定休日:月
住所:東京都千代田区丸の内3-1-1国際ビル1階

★初日にレセプション・パーティーがあります。
7月16日(火) 17:00-19:00

悪魔の法律(2)

5月29日に最高裁判所で、旧優生保護法の被害者による弁論を傍聴しましたが、今日の午後3時に「違憲」の判決が下され、国への賠償請求が認められました。
除斥期間を盾に退けてきた国の卑怯な態度に、消しゴムを投げつけたくなる衝動にかられたが、この最高裁の判決に司法の良心を少しは感じた。(でもこれで終わりではない)

旧優生保護法は48年間。それに先駆けて執行された断種法《国民優生法》。1940年、新体制のもとで成立した民族浄化の悪法は「ナチスドイツをロールモデルにしてた時代だったからしょうがない」と思われがちだが一概にそうとは言えない。優生思想を啓蒙し続けた歴史を私の自主研究(古本コレクション)からご紹介しよう。

断種法のキーパーソン・永井潜
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オッペンハイマーが博士号を取得したドイツの超名門大学・ゲッティンゲン大学で生理学を学んだ永井潜は、日本における優生思想の主導者。
この大正5年刊行『生物学と哲学との境』は冒頭10ページが、ドイツの恩師に宛てた熱烈なラブレターで、科学よりも私情の迸りを感じる…。戦後も優生思想の書籍を数多く出版。

怒りのメモ「美しいことを夢見て 醜いことをする」
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雑草=不良な国民とその遺伝子、というのが定義だ。
〈淘汰の篩(ふるい)〉〈民族の花園〉〈血は最高の装飾〉などのパワーワードを連発する博士。その人に法律(国民優生法)の骨子をまとめさせた日本国。

(参考資料)1940年、国民優生法の意義を語る永井博士
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白樺派と大正デモクラシーの意外な一面!
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大正10年に創刊された『文化生活』は、森本厚吉/有島武郎/吉野作造が主宰する社会の改善を目的とした雑誌。創刊号には永井潜もエッセイ「優生雑話」寄稿しており、遺伝をコントロールする重要性を説いてる。
国家の構成=国民の数や質を合理的にデザインすることが、すなわち社会の幸福である。そんな上から目線の善意が透けて見える〈貧乏退治号〉も!

優生運動のイニシアチブ
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誰が第一人者になるか?名乗り出た一人にジャーナリストの池田林儀がいる。「精神主義の社会運動」を掲げ、修養や養成など後天的な変革を唱えた。「不良品の根絶やし」を目指す永井潜よりまともだけど、勝者は永井博士。

昭和8年刊行『プロレタリア産児制限法』無産者産児制限同盟という組織の出した恐ろしい表紙の本。…内容はいわゆる「家族計画」の方法。

夏の夜間高校

私が卒業した都立高校は全日と夜間の二部で、試験ナシで入学できる定時制高校は、義務教育をサボタージュした私みたいな落ちこぼれにぴったりの受皿学校だった。
昼の子たちとは登下校時刻すらニアミスしない暗黙の掟があったり、遠慮がちなハイスクールライフだったが、その中でも印象深い思い出のひとつが「夜のプール」だ。
夏休み明けの晩夏、誰かが「プールに入りたい!」と余計なことを言い出し、翌週の体育は水泳に決まった。全日の生徒が繰り返し使った汚い水にはアオコが発生し、ボウフラも湧いてそうだ…。しかし我々夜学生たちは喜び勇んでプールに入った!そして投光器に集まった羽虫の群れが容赦なく口の中に入った!「わーい」の歓声はギャーと悲鳴に変わり、一瞬で意気消沈しプールの授業はすぐに終了した。

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新しい校舎に思い出はないが、蛍光灯の明かりを見てると「挫けず頑張って」という気持ちになる。
旧校舎は重たい鉄の窓枠で夏は開けっぱなし。コウモリが飛び込んで来てヤンキー生徒に殺された…野蛮すぎる!