問うて曰く/答えて曰く

奇書『視実等象儀詳説』は「△問うて曰く」と「△答えて曰く」の 問答が50回も繰返されるQ&A方式の本です。大多数の人から質問されそうな厳しい問いを佐田介石自身が想定し、それに対し仏教天文学の理屈を並べ立てて解説してゆく。このいわば自問自答の自己完結な攻防戦を私達はどう読めばよいのか?

西洋天文学の説(地動、ドーム型の天空、球形の地球など)は見かけの宇宙、即ち〈視象〉であり、仏教天文学の説(須弥山を中心に旋回する天道、ぺたんこの天空と地球)は真実の姿、即ち〈実象〉だという。そしてこの両説(視実)の宇宙は矛盾せずに同時に存在するという謎…。これを理論的に説明することは困難で、屁理屈と化した問答集を読んでると「もう諦めて太陽暦を受け入れちゃえば?」とつい言いたくなってしまう。こんな気持ちでは最後まで読めない。

Q&A古文書(ヤフオクで2000円)
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最初の問うて曰く「すでに西洋の天文学が普及してるのに、今さら説を覆したり蛇足する必要あるの?」という鋭い質問(自問)に対し「大砲からピストルの発明に進歩して、そのピストルも日々モデルチェンジしてるんだから、天文学だって新しい説が出現してもいいんだよ」という答えで、ちょっと腑に落ちない…。

これが視実等象儀だ!
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ケーキのように平な海に浮かぶ4つの洲(陸地)はドーム型の宇宙(視象天)に覆われ、遥か上空のぺったんこ天空(実象天)に太陽系があり、須弥山(真ん中の棒!)をグルグル廻りながら28日周期で上下する!?らしい…正直いうと理解不能です。

過激派と製図セット

東アジア反日武装戦線・さそりグループ所属の桐島聡が49年に及ぶ逃亡の果て「自分が桐島聡です」と告白して死んだという衝撃の一報後、続々と明らかになる人物像(音楽好きの呑兵衛)に親近感を覚えずにはいられない。国から紐付けされることなく税未納ロマンを貫徹した反体制人生が少し羨ましく思える。(確定申告シーズンだから特に)

潜伏地藤沢での偽名〈内田洋〉に私は直ぐに内田洋行を想起。満鉄御用達の製図用品メーカーと過激派との関連とは…ばくだん設計図作成でウチダの定規を使ったとか?

そんな時事情報で頭がいっぱいのせいか昨夜こんな夢を見た。
武蔵美学園同級生のHさんはアウトドア派で、リトグラフを刷る時も釣りベストを着ている男だった。約30年振りに再会すると今もそのベストを着ており、何故か私も釣りベストを着ている。前身頃に縫い付けられた大小のポケットをよく見ると、内田洋行高級製図セット内蔵のコンパス用替芯ケースを入れるための極小ポケットもあり、おそらくベストは釣り人用ではなく、定規を必要とする者のための着る製図セットにちがいない。

三角定規を心に当てて叫ぼう「愛魚精神万歳!」釣り反対派の私はこのベストで闘争!(もちろん非武装戦線)

It’s A Man’s Man’s Man’s World!
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学生時代の私はカセットラベルを自作する
だが爆弾は作らない
うーやんとの共通点はJB愛聴のみ

雪と往生

小澤征爾さんは大雪が降った翌日に自宅で静かに息を引きとられた、と続報で知る。雪が大層好きだったそうで、斯様に好きな天候の日が人生最後の日になる終末は、芸術と社会に貢献し続けた崇高な精神と徳の成せる大往生だと言えよう。

私は台風が好きだから、嵐が過ぎた翌日に多摩川の岸辺に打ち上げられるかな?(それは往生ではなく天罰) みんな川に大水を見に行くのはライブカメラ閲覧だけにしておこうね!

ボストン交響楽団の弦チェレ
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不穏な男女が描かれたCD
バルトーク〈弦楽器.打楽器とチェレスタのための音楽〉を聴いて追悼…

石は生きている

最近なんだか四次元ボーヤに元気がなく、顔が白っちゃけてシミのようなものが浮いて見える。表面を拭いてみても変化なくどうしたら良いものか…。
そこで、鑑賞石には「水石」という呼び名があるぐらいなので、一度入浴させてみることにした。ボールにお湯を張りポチャンと沈めると、口から細かい気泡を吐きながら「じぃーじじじじ、じぃーーー」と小さい声で鳴きはじめた。四次元ボーヤは生きている!

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じぃーじじじじじ….じぃーじぃーじじじ

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入浴してサッパリ(したかな?)

神田カルチェラタン

ベンサムの幸福計算もマルクスのユートピアも信じない、水晶宮を建設する資材の何れにもなれない。ドストエフスキー『地下室の手記』の男は私と同類の社会不適合者だ。この引き篭もり中年による独白(陰鬱な小説)はボタ雪の追憶から始まる。その場面を彷彿とさせる昨夜の雪に乗じて、私も昔のことでも思い出してみようか….

先週の金曜日午后、O JUNさんの美しい新作を見るために神田小川町へ行った。私は32年前に小川町にある古書会館で入札会の雑用バイトをしたことがあり、この街を歩いてると当時の記憶が蘇ってくる。

大学3年生の兄が所属してた早大美術サークルのバイト先だった神田古書会で「人手が足らない」ということで私も駆り出されたのだが、仕事覚えも要領も悪くかえって邪魔だったような…早大生と底辺美術学生の差を痛感するばかりのバイトだった。(近代文学館が高額入札した夏目漱石の生原稿など見れたのは面白かった)

滅多にないインテリ学生とのふれあいで印象的だったのは、4年女学生の「人間への憎悪が残っているので肉は食べられない」という発言で、偏差値を超えて私は激しく同意した。

建物ばっかりの思い出フォトアルバムより
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かつて神保町2丁目にあった〈東洋キネマ〉にはダダ建築という素敵な仇名が付いていた。私はこの支離滅裂な装飾が大好きだった。

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タテカンが健在だった頃の明治大学。シュプレヒコールが聞こえてきそうな厳つい学府はもうない。(だがアイアンメイデンはまだいる)

對近代

古文書のみで〈視実等象儀詳説〉を理解するのは限界があるので、図書館で借りた春名徹 著『文明開化に抵抗した男 佐田介石 1818-1882』の助けを借りることにした。これによると熊本の神童と称された介石はカール.マルクスと同時代人だと紹介されている。
なるほど確かに、世界の同時代人と並べると、介石が煽動した仏教に基づく梵暦の普及活動、グレゴリオ暦反対運動の時代背景に奥行きが増してくる。
イギリスを震源地とする産業革命の波が様々な方面に影響を及ぼした19世紀とは?それはズカズカと土足で踏み入る近代によって旧来の美徳が荒らされていく入口だ。

ドストエフスキーはロンドン万国博覧会(1851)の水晶宮に近代合理主義の勝利を見出し、嫌悪感を抱いた。ワーグナーは巨大化する人類の野望が、近代の魔力で実現可能となってゆく不吉な未来を『神々の黄昏』に描いた。ニーチェが数々の著作の中で、来たる近代黄金期を(事前に)全否定したことは言うまでも無く、皆様の周知するところであろう。
そして我がジャン・マリ・マティアス・フィリップ・オーギュスト・ド・ヴィリエ・ド・リラダン伯爵は、赤貧に喘ぎつつ、家具の無い部屋に寝そべりながら『未来のイヴ』を執筆し、科学の申し子である人造人間ハダリーの口から合理主義を呪う罵詈雑言を(とても優雅に)吐かせている最中であった!

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闇黒の無限世界(高次の存在)を否定する悪しき近代的概念「理性」と「自然」。機械の貴婦人は後者の合理社会に安住する恋人・エワルド卿をエレガントに喝破する(けちょんけちょんに!!)。白昼とランプに照らされた視覚情報しか信じない者は「己れ自身からの脱走兵」だと…
西洋天文学における「見かけ」の宇宙と、見えない仏教宇宙の摺り合わせに奮闘した佐田介石の〈ランプ亡国論〉にも注目だ!

仏教天文学の扉

ようやく落ち着いてきたので『視実等象儀詳説』を紐解いてゆこうと思う。まずは〈序〉でも読もうか…わぁ何故か漢文!書き下し文を読んでると受験生になった気分♪ 受験勉強したことないけど!

〈序〉
人あり、岸上に立ちて見るに、蒸気船の行き過ぎるさは十里に測り没し、見えざる試みに以って、五十里鏡を望めば、測りざるを見る。ごときなるをもと没し、ゆえのその五十里尽くするに至りてまた見えざる。更に百里鏡をもって望めば、測りまたそれ見えざるを没す。しからばすなわち先に十里ほどに没するを見たるは、これ実に没したるにはあらず。肉眼の力これ及ばざりなれば、また五十里尽くするに至りて没するを見るも、実に没したるにはまた非ず。これ五十里鏡の力及ばざればなり、さらに二百里鏡、三百里鏡を望む寸はすなわち没し見るにあらず。また皆しからん、しからばすなわち、遠鏡のこれ見る所なおあたわざりし。その実象に達し、いわんや天地のこれ広大なるや、ああ!人目なんぞ及ぶけんやかな。これもって知る天地の真象は、眼において在らざる、心において在るを、いずくんぞこれ千載未発の視実のことわりを発明する。眼においてあらざる、なんじ心において在り。この所以なりや。(間違ってたらすみません)

エキセントリック僧侶.佐田介石 撰 (明治13年刊行)
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崖の上から海上を航行する蒸気船を見ようと望遠鏡を覗く。ところが、どんどん倍率を上げても追いつかず見ることができない。このように肉眼も望遠鏡も真の姿を捉えるのには不十分である。しかし心の眼なら可能だ。これが「視実の理」の発明なのだ。(こんなかんじの意味かな?)

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「地球は丸くない!ぺったんこなのだ!」
ぜんぜん読めない狂った目次は訴える

さよなら1月

怒涛の年末年始のせいで時間感覚が狂ってしまったが気がつけばもう2月。数少ないお正月の思い出を振り返ってみようかな?

姪っ子(中3)へのお年玉
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受験真っ只中の姪の志望は都立高校。兄と義姉は青山/大泉、私は桜町(定時制)、妹は目黒と皆が都立高卒業 (それは授業料が安いから)
校則の無い学校に進学し髪を変な色に染めたい。そんな夢を叶えるために勉強に勤しむKちゃん。頑張って!

親へのお小遣い(少額)
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数々の病気や怪我を治療しながら生きてるのに餅で死んだら大変!
なので注意喚起を袋に書いた「モチに全集中!」

老父母からの返礼品
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(母の手作り)洗濯バサミを利用した猫ちゃんクリップ
(父の手作り) 風間キーホルダー。表=漢字、裏=平仮名
【忘己利他/もうこりた】キーホルダーは以前もらった父のオリジナルグッズ。天台宗の開祖・最澄の言葉を勝手に引用したという(不穏な書体と銀色がいいね!)

記憶ちがい

今から約20年前、島根県松江市の古社・神魂神社を参拝しここで奇妙な体験をした。巨木が林立する暗い石段を登り少し拓けた境内に着くと、古代にタイムスリップしたような厳かだけど胸騒ぎのする神殿が聳えている。太くはない柱の上にある本殿はどうして400年以上も変わらず残っているのか?とても不思議だ。おそらく結界に守られた神の領域の存在に間違いない。

畏怖の念で本殿を見上げると、開かれた扉に描かれた日月に強烈な日光が当たり反射して見えた。そこまでは事実なのだが、私は何故かこの記憶を「輝く神鏡を見た」と無意識に捏造し、思い出の光景は壁画ではなく本殿に祀られた古鏡の姿となっていた。そして昨年末、あんな素敵な呪物が家にあったらいいなという物欲は成就した!

日曜の昼下がり。暇なので磨いてみたよ
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before(曇ってる)

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after(うーん微妙…)

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太陽を模した鏡が月ぐらいの輝きに…

日本最古の大社造(国宝)
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ヤフオク購入の絵葉書で検証

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やはり扉の壁画(円形部分)の記憶違い

雪は降るタヌキは来ない

昨年の暮に近所でタヌキを目撃してから、リンゴの皮をプラスチックトレーに入れて庭に置きタヌキが来るのを待っていた。夜中にエサを見に行くと空になったトレーが少し離れた位置に落ちている。私はタヌキ来訪を確信して、野菜クズを追加し続けて観察。するとまた空になっている。
いよいよ来る習慣がついたかな?そんな期待は昼間の庭、干からびた生ゴミが散乱する庭を見て落胆に変わる。ようするに、放置されたエサ(生ゴミ)が乾燥して軽くなり風に飛ばされ容器が空になる←を繰り返しただけだった!(タヌキは来ない)

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悲しき白菜