
この親子を見ていると、家でお留守番しているモチとユバ(白熊型枕)の2匹を思い出す。さんざん連れてこようか迷ったけど、この衛生的な施設にあんな汚い枕を持ちこむべきでなく置いてきて正解。(清潔な生活に慣れてしまった私。風間城の不衛生ライフに復帰できるか不安だ。)
月別アーカイブ: 2015年6月
さとごころ
北国に遅い梅雨がやってまいりました。昨日と今日は終日雨。青森入りしてから2週間、ずっと爽やかな晴天だったので本格的な雨は初めてです。深い森に吸い込まれるが如く降る雨と、遠くからドドドドドーッと近づいてくる風の音がひどく恐ろしく感じられます。
こんなに雨で憂鬱になるとは思っても見なかった!侘しさ100%で気分はブルー。最高気温13度と冬並みの寒さ(ペラペラの長袖2枚しか所持せず)サンダル履きで足下が悪いので散歩もままならず、おのずと創作棟に幽閉状態です。「景気付けに酒でも飲もう!」と手酌のワインたった一杯で酔っぱらい(普段はこんなに弱くない)いつもの酒癖が出て所構わずの歌謡ショー。だだっ広い夜の作業室にこだまするはシューベルトのセレナーデ。「いで来よ君」と歌っても誰も来るはずがない。酔ったいきおいで版木を彫ってる近眼女がただ一人です。

カッパ運転手のかわいい新幹線(同乗者は寿司)に乗って東京に帰りたい。
良い制作環境を与えられてその言い草はなんだ!と責められたら涙で詫びるしかない。帰るに帰れぬ東京夢ん中。
虫の祭典
コチラに来てから朝8時に起きて午前10時から午後10時まで制作しています。宿泊棟と創作棟を行ったり来たりの単調な日々の中、彩りをそえるのは色々な虫たちです。とにかく虫が多い。そして虫の行動は謎が多い。
30匹ほどの白い蝶の一群が木陰の一隅に集まったまま、朝から日没までフワフワ飛び続けていたり(ストラヴィンスキーのペトルーシュカを聴きながら眺めていると全く飽きない)…これは蝶のお見合いパーティーだと後に知りました。アリがミミズの死体を中心に直径4センチほどの砂山を築いて、いつの間にかミミズが跡形もなくなってしまったり…。よーく見ると物凄く秩序立っており、虫各自のキャラを全面に押し出した本能に忠実すぎる行動の数々には、生命の健気さに対する愛おしさよりも、野蛮な狂気を感じます。
今日は舗装道路の上で、何故か生きてる仲間の足にガッチリ噛み付いたまま息絶えた大型アリの死体を運ぶ中型アリを見ました。生きてる大型アリの「運ばれてなるものか」という抵抗もむなしく、大型アリの半分にも満たない体躯の小さなアリが軽々と、拒むアリと死んだアリの2匹を連結したままズルズルと引きずっていきます。なんだか分かり得ない陰を心に落とす光景でした。
みちづれ或いは共存
この石の彫刻は「共存」という名前で「はめ込まれた丸石シリーズ」の一部です。丸い岩にも棺のような四角い岩にも、小さな丸石がはめ込まれてますが、四角い岩にはめられた饅頭のような石は、いつも微妙に飛び出しています(写真は私がはめ直した後)。それはたぶん「森の学校」に参加した学童の仕業と推測されます。
作者バラニ・ゾルターンによれば「石の望む形に作品を作り出す」とのこと。石と精神的な会話をすれば自ずと形は決まる。小石が簡単に取り出せてしまうのも石や岩の要望であれば、子供のイタズラも作者は笑って許してくれることでしょう。

ここに腰掛けて電波をキャッチ!牢固な創作棟内では閲覧できない動画を見ながらちょっと一息。

お気に入りのミュージックビデオは『みちづれ』
自分の投げ入れた小石によって広がった池の波紋を、空虚な表情で凝視する渡哲也。微動だにしない瞳に映るのものは深淵?
芸術の中心で蛇をさがす
一日に一回はこの芸術作品(石塔)の周りを一周することを日課にしております。というのも「この、もの派的作品には蛇が棲んでいる」というマル特情報を主任学芸員から入手し、私はそれを確かめるべく、そして蛇会いたさに毎日散歩がてら訪れているのです。きっと石の隙間からニョロっと這い出してくるに違いない!そう見当をつけてグルグル周りながら石と石の間を観察しているのですが、まだ蛇に会えません。
国際芸術センター青森。ここが国際的な芸術の中心であることを後世に伝えるべく、恒久的で謎めいた巨石が森林地帯に点在しています。それらは後日また紹介します。

観音崎砲台跡の堡塁で蛇に追いかけられたことがあります。石やレンガ積みの壕、堆積した落ち葉、そういうヒンヤリした場所を蛇は好む。条件の合うここにも居るに違いない。
森で海を彫る
「Arbeit macht frei!達者でな!」と不穏当なはなむけの言葉で東京から送り出されて早8日。働けば自由になる。とんでもない!ここACACは何の束縛も強制も無い素晴らしい場所です。森林地帯にポっと現れるモダン建築(超ぶあついコンクリート壁)の施設内では電波も受信できず、買い物も大学の売店と限られてますが、この閉ざされた領域ならではの雑音に乱されない集中した制作環境が用意されているのです。食料が買えなくても「核シェルターの備えのよう!」と驚かれるぐらい食料品を確保しているので問題ありません。それにこの緑深い森林にはフキやヨモギ、木イチゴなど食べられそうな植物が自生しているので大丈夫です。
ところで。ノートPCが青森で客死という予感は的中し到着したその日に昇天しましたトホホ〜。「悪い予感ほどよく当たるものだ」なるほど。さもありなん!そんなでブログ休止状態に陥りましたが、昨日、孝行者の妹と義弟が中古PCを携えて面会に訪れ、このように晴れて復活の運びとなりました。ただいま制作に追われている状況なので長文は書けませんが、引き続きご愛読のほど宜しくお願いいたします!!

森や小鳥の奏でる美しい環境音楽に耳を塞ぎ、うるさい騒音音楽を聴きながらの作業。「あと一ヶ月で完成させなくちゃ!」切迫した制作期間の過重から、筆者の体には黒い斑点が浮いて見える。
(これは座礁した船舶が涙を垂れている図の一部を彫っているところです)
達者でナ
いよいよ明日から青森です。何から何まで不安です。外国人と交流するのに英語が全く(苦手という謙遜とは程度が違う!)お話し出来ないこと、完全夜型なのに昼間に活動出来るかどうか、与えられた期日を上回る制作計画を立ててしまったこと(拡大あるのみだ!)、コンビニが無い不安(深夜にチョコを買いに行けない)などなど….。田園の憂鬱は尽きることを知らない!
なにより一番の心配は、インターネットがつながるかどうかです。もしかすると当ブログ窓黒(地下生活者の手記)も休止という憂き目に遭うやも知れません。それに未だケーキの保冷剤で過熱をしのいでいるこのノートPCも青森で客死!なーんて可能性もあります。万万が一ですが、ブログが更新されなくなっても終了だと早合点せず、東京での復活を気長に待って頂きたい。賢明な読者の皆様にそう切に望みます。無事に接続出来ればほそぼそとでも書きますので、引続きご愛読の程よろしくお願い致します!
(留守宅の心配は、夜に来るお客さんのこと。点灯しない暗い家を見て「このお店は閉店しちゃったのか〜」とヤモリ達が来店しなくなるかも?それにエサが捕れずに困るのでは?超心配だ〜!)

旅ぃ〜ゆけば〜駿河の〜国にぃ茶の香り〜〜
広沢虎造の名調子につられて東海道新幹線に飛び乗ってしまいそうだが、
どっこい私の乗車すべき弾丸列車は東北新幹線(はやぶさ)だ。間違えてはいけない!
森の石松のように縞の合羽に振分け荷物の軽装で遊侠できたらな〜。そうはいかない!
私は縮めることを知らない
来週から青森ACACにて滞在制作に入ります。向こうに行っても音楽が聴けるように準備しました。
昨今ではアイポッドに大量の音源を落とし込んで持ち運ぶというのが主流みたいですが、私はこの方法を知らない。ので、電化製品の大型量販店でCDプレーヤーを購入しようと物色したところ、ラックに一個だけオモチャのような品が寂し気にぶら下がってるのみ…。なるほど、かさばるCDをわざわざ持ち歩くのは時代遅れだということですね。だがしかし私はCDから端末に音楽を移動させる方法を知らない。古ぼけたCDプレーヤーを父から譲り受け、かさばるCDは宅急便で送ります。
東横遺構
昨日、渋谷の大型コピー店に拡大した下絵を取りに行き、その道すがら、今もこの遺構が残っているのを目にして嬉しくなりました。渋谷〜代官山の地下化で無用となった東横線高架橋の残骸は、無作為に切断されたまま、野ざらしの身でありながらも古い門の遺跡のような偉容すら感じ、とても美しいです。
東横線コンクリ遺構は、明治通りを渋谷から恵比寿に向かう途中の並木橋のたもとに存在してます。いつ撤去されるかわかりませんが、昔のコンクリート構造物のお好きな方にはおすすめです。

偶然アールデコ似の造形
魅惑的な「酒の家」はすでに現存してない模様。

ズバっと断切られた東横線(歩道橋より眺める渋谷駅)
並んだ鳩三羽の背中、買ったばかりの品物を路上で確認する男女、集合しつつある若者
どこを切り取っても申し分なく長閑な日曜午後三時の風景。
危険な暮らし系
この家はボロいということのほかに、平屋から二階建てにむりやり改築されていて見るからに変な感じです。屋内は昭和20年代の住宅にしては天井が高く、その規格で元・平屋に二階が乗っかてます。(柱はついであるものと推測)平坦な土地で必要ないのに「盛土」された高い土台の上には、南側全面がガラス戸の縁側で、倒壊する方向が一目で分かる木造二階建て。そそり立つ老朽家屋の外観は、見る人に不吉な予感をあたえるのに容易に事足ります。
こんな防音、耐火、断熱の機能ゼロで、自然の脅威と隣り合わせの家に住むメリットとは、懐古趣味を満足させるということ以外に何があるのか?せっかくボロいのだから他にも利点がなければツマらない!そこで私はこのボロ屋をジョーモニズム実践の場と考えることにした。といっても大したことではない。天災(地震、台風、落雷)と動物の侵入、古い物品から醸し出される霊気などにビビりながら暮らすこと、すなわち人間が環境を管理し支配し勝利する「合理性」に離反し非合理世界に近づく一歩だと思っているのです。
(参考資料)

1994年、風間縄文の名義で発表された『ジョーモニスト宣言/ビバ縄文2001』の一部
「ハートに縄文 みつめる未来」と新規のレトロフューチャーを唱えているが、そんな楽観は21世紀の今現在では見当たらない。
残飯を自宅の庭や公園の植え込みに投棄する「タマオクリ」行為は、古代における死と再生の観念を、現代の生活スタイルに順応させた崇高な儀式です。残念ながら私はまだ実行に至りません!
このように非合理的観念(アニミズム、マナイズム等)を自分勝手に曲解した自己完結型マニフェストが「ジョーモニスト宣言」です。過去の拙文には閉口させられますが、今の暮らしを批判的に示唆するところも多少はある…と思う。







