月別アーカイブ: 2020年12月

アダンソンさん

アダンソンさんとはアダンソンハエトリクモのことです。このクモは作業の手を休めてボーっとしてると叱咤激励をするかのように版木の上に現れるので「きっと私を見守る祖先か鬼籍に属するかつての恩人が遣わした者にちがいない!」と都合よく解釈していたのですが、生態を調べたところ、明るくて暖かい場所を好むクモとのことで、ただ単に作業灯〈夏はジリジリと熱く、冬はホンワカあったかいゼットライト〉の光線を目当てに来てるだけのようです。

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砂糖水を吸うアダンソンさん。

寝言

おととい就寝中に2回も自分の寝言で目が覚めた。1回目は「ピーマン最高〜」という無邪気な寝言。たぶん感動するほど美味しいピーマン料理を(夢の中で)食べたのだろう。2回目は「スロベニアはバルト三国ではない!」という断言で、夢の中で私が指差した世界地図の箇所をハッキリと覚えている。だが夢で指し示したバルト海に面しリトアニアとポーランドに挟まれた小国のような場所はスロベニアでなく「カリーニングラード州」で、ここがロシアの飛地領だという事実は起床後に地図を調べてみて判った。(スロベニアはぜんぜん遠いアドリア海の湾の奥だった)

こんなところに不思議なロシア飛地があるのを今まで知らなかったので、誤った寝言だったけど勉強になって良かった!カリーニングラードは1945年のドイツ敗戦でドイツ領からロシア領になったが、もともとは東プロイセンの首都「ケーニヒスベルク」で昔から現在に至るまで波乱万丈な歴史のある土地のようだ。思想家ハンナ.アーレントと美術家ケーテ.コルヴィッツがここの出身だと知り、彼女達のような気骨ある人物を輩出したケーニヒスベルクに興味が湧いてきた。(まずはケーニヒスベルクのノートゲルトがほしい)

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忘年会

感染症拡大で大人数での会食が難しく、今年は忘年会中止という人も多いのではないでしょうか?そんな世情ですが、昨晩自宅でかざまランドの仲間たちと忘年会を開きました!先日神保町のオモチャ会社でミニチュア応接セットをもらったので、このミニ調度品の大きさに見合うお人形を招待したヨ。(私は忘年会を諦めない)

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楽しそう!(私も仲間に入れろ)

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ワニ「泉屋のクッキー美味しい〜ムシャムシャ」
サメ「ガブ」「ガブ」「ガブ」
エイ「イテテッ!イテテテテ!ヤメテー!」

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お人形の部類でない友達も参加しているが、蓮根キーホルダー(土浦駅売店購入)には「先の見通しを良くしたい」という祈念の心があり、美術クリップには「美術の道を邁進せよ」という叱咤激励の思念が宿っている(形は違えどそれぞれ人格に近いものを持っている。)

宿命の歯車

子供の頃は、飲み屋さんの入口に置かれた大量のおしぼりや、ラーメン屋さんの裏口に置かれたビニール袋入りの大量のモヤシを見て「どうして毎日このようなプレゼントが届くのか?」と不思議に思ったものだ。サラリーマン家庭で生活する私には、飲食業の営みなど与り知らぬ世界であり、おしぼりやモヤシを配達する商売があることも知らない。
飲食業界ピラミッドの頂点である飲食店が傾けば、当然ここに商品を納める会社の売り上げも下がる。現下コロナ禍でこのような負の連鎖が雪崩のように発生し、大変なことになってると報道されているが、機械の歯車のように各々が関係し回しあう社会の宿命をどうすることもできず、政府は稼業の転換を推奨するのであった。そう簡単に仕事が変えられて儲けることができれば苦労はないが…(私は版画以外無能なのでどうしよう?)
無人島仲間である松田修くんの母がママの『スナック太平洋』も、コロナで沈没した色街の煽りを受け閉店することになった。現代社会では表立って言えない階級社会の「下」を生きる宿命 (そのポジションでしか生きる術がないこと) を考えさせられる展覧会『こんなはずじゃない』は、現在無人島プロダクションで絶賛開催中です。「上中下、右、左」「生まれてきてゴメンナサイ」の声を背中で聞きながら〈奴隷の椅子〉に座ってママの裏町人生を垣間見てみよう!

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松田修 こんなはずじゃない
open: 火~金|13:00-19:00 土・日|12:00-18:00
close: 月、冬期休廊12/28 – 1/4
会場:無人島プロダクション

お正月廃止

ムッソリーニ率いるファシスト党政権下のイタリアでは、一般的な太陽暦ではなくファシスト歴という独自の暦が使われ、1月1日の新聞紙上で元日を報道してはいけない変な規則があったそうだ。(親方の決めた元日がお正月?)
私もこのように太陽暦を無視できたら…1年を15ヶ月ぐらいまで延長し、盆暮正月の節目を廃止して時間感覚をできるだけボンヤリと膨張させる(締切からの解放と革命!!)独裁的暦を発布したい!…と夢想するほど今年も時間が足らず、果たして来年3月の展覧会に新作発表できるのか?残された日数を数えると不安すぎてスヤスヤと爆睡してしまうのだった。(こうして毎日時間を浪費する)

〈塔崇拝〉
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神仏には帰依しないので、初詣の代わりに元日は給水塔詣をし、この百年不動の塔に新年の抱負を誓うことを例年の習いとしている。(けど来年は無理そう)

新しい腕環

(本日開催予定だった)毎年恒例の世田谷ボロ市は、コロナの影響で今年は中止だそうです。大繁盛の市がなくなって露天商も商売あがったりだろうなぁ。廃バスの部品など正規ルートでは入手できないお宝が見つかる(真実のボロ)市なので残念ですが、来年の12月に再開できるように祈ります。(来年1月15,16も中止決定)

何年か前のボロ市でガラの悪い古物商から500円で買った、ムーブメントなど本体の無い腕時計(枠と蛇腹ベルトだけ、時の失われた腕時計)は、私のお気に入り腕環のひとつで長らく愛用しましたが、ドッキリ味が薄れてきたので新たなる冗談グッズ腕環を購入しました。
写真中央のこちらは、ティファニー社製の(銀フォークを怪力の職人かユリ・ゲラーのような念力の持ち主が輪っかに曲げた)腕環で、誰かが勝手に曲げたからティファニーの刻印があっても正規アクセサリーでは無い。そして銀製といっても純銀でもなく、エレクトロ.シルバー.プレーテッドという19世紀に発明の銀メッキ製法で作られたまやかしの銀食器です。この腕環の難点は、フォークの先っぽが尖ったままなので、ウッカリすると手の甲や手首に猫に引っ掻かれたような跡がつくことです。

〈電気の子〉
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(かざまランドのマスコット) ハダリーの素材.アルミニウム、銀フォーク腕環のシルバープレートともに「電解」を利用した発明で19世紀初頭に誕生した。そして本家ハダリー登場『未來のイヴ』も19世紀の電気と幻想の産物である。奇しくもこの銀フォークは、人造人間ハダリーの生みの親リヴィエ.ド.リラダン伯爵が亡くなった1889年の製造で不思議な縁を感じる!伯爵もこのような華奢で美しいフォークを使って、チーズやフルーツを優雅に突ついて食していたのだろうか?

上高地ビスケット

『DER ZAUBERBERG』の山岳地帯を描きながら「そう言えば昔、上高地に行ったなぁ」と思い出す。昔というのが小学高学年だったか中学生のときか定かではなく、この曖昧さは(やはり)観光バスでの乗り物登山だったことに起因する。唯一ハッキリと記憶に残っている事象は土産店で購入した〈上高地ビスケット〉のあまりにも淡白すぎる味で、見た目はマリービスケット似だが、マリーを更に脱脂し甘味を抜いたような大変モソモソしたお菓子だった。
一目で気に入った〈上高地ビスケット〉のパッケージは子供の私でも魅了されるほど美しく、横長のビニール包装には穂高連峰のパノラマ写真が総天然色で印刷され、片隅に優秀な銘菓として金賞を授かった過去を誇る勲章のようなものも印刷されていた。幻想的な大正池や雄大な穂高の思い出を胸に帰宅し、金賞受賞の実力を期待して食べたが、表徴の煌びやかさとは裏腹な素朴すぎる内面(ほぼ無味)に私は絶句した。(誉の勲章は偽りか?)

『DER ZAUBERBERG』下絵
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アルプスの山々を整合性なくツギハギした不気味山脈ツァウバーベルクから上高地ビスケット(穂高連峰/日本アルプス)からブラックモンブラン(アルプス山脈)へと連想の山脈は続く…
「ブラックモンブラン(チョコアイス)が食べたいよーー!」
私がこの東京砂漠で九州銘菓ブラックモンブランを熱望し叫んだとしても、虚しくビル山脈にこだまするだけ…。いつでも美味いアイスバーが食べられる九州人が羨ましい。

酸っぱい味方

ドイツ兵も携行してる保存食プンパーニッケルは、台所に立つのが億劫な寒い日の昼食にピッタリな黒パンです。しかし最近このドイツパンが本当に好きなのか、自分でも少々懐疑的になりつつあります。酸っぱい味なので乗せる食材も同じように酸っぱいものしか相性が良くないような気がするし、モソモソして重たく咀嚼に疲れる食感は二枚食べるのがやっとで、バケットのように「あと一切れ食べたいな」と思ったことは一度もない。どうして凄い美味でもないのに割と高価なこのパンを買ってしまうのか?それは黒くて四角い形状と重量感、ぞんざいなパッケージ(なのに賞味期限が異様に長い!)。ドイツ兵も食べているという幻想。そしてPumpernickelという名の響きなどに要因があると言えましょう。

7枚入り540円(どうしたら美味そうに見えるか?)
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不乱苦林

79年前の今日。1941年12月2日、大日本帝国海軍連合艦隊司令部より「ニイタカヤマノボレヒトフタマルハチ」の暗号が発信され、8日の真珠湾攻撃で太平洋戦争の火蓋が切られた。
私は20年前に司令長官・山本五十六の記念館(新潟県長岡)に行って、ブーゲンビル島上空で撃墜された長官搭乗機(一式陸攻)の千切れた左翼を見物した。ジャングルから引揚げられた巨大な翼は生々しく、こじんまりとした記念館展示室の中で異様な存在であった。そしてこの攻撃機遺骸に負けないぐらい印象が強かった展示品が『不乱苦林』と表紙に書かれたノートだ。これは五十六が十六の時に、米国の偉人ベンジャミン・フランクリンの自叙伝に感銘を受け、自分の勉強ノートに命名したのだという。リスペクトと勉学への真摯な姿勢を『不乱苦林』と表したセンスに感心したのと同時に、 『夜露死苦』を想起させる当て字にちょっと笑った記憶がある。

(マノヤマノボレ)
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『DER ZAUBERBERG』下絵製作中(間に合うかな?)