東京の空の下

さすがに「胃ガン」と聞くと一瞬青ざめます。ガンは医学が進歩した現在においても、死に直結する問題であるし、死を想起せずにやり過ごす事はできません。父のガン告知という一大事に直面して、普段のんきな母がいつも以上にハイテンションだったので「あ〜やっぱ動揺してるのかな?」と思い、「お母さん。風間家は関東大震災で死んだ人も、戦場に行って死んだ人も、東京大空襲で死んだ人も一人もいないんだよ。それだけウチは強運の持ち主なんだから大丈夫だよ!」と非科学的かつ非合理的な理論で励ましたところ、私のチョイスした「強運」という言葉によほど説得力があったのか、「あら本当、そうだったわねぇ。」と落ち着きを取り戻してくれました。最新医療情報を得ることも大切ですが、こういう時には合理的な事実を並べるより、非合理的な理屈が役に立つ。私は神を信じない(小さいカミ様は可)けど運命は信じているのです。
たしかに私の親類縁者は、100年以上前から東京にいても震災と空襲でなくなった人は誰もおらず、同居していた祖父は、太平洋戦争末期にインドネシアのセレベス(現スラウェシ島)の戦線に送り込まれましたが、祖父から聞いた戦場よもやま話は、南方の風土にまつわる話や、どこか間の抜けた面白いエピソード(覚醒剤入りの「航空チョコ」を盗み食いしたら眠れなくなって困った、など)ばかりで、もしかしたら実際は恐ろしい体験をしたかもしれませんが、身内から戦前戦中の「悲惨な体験談」を聞いた覚えがありません。身内の誰かが戦争で亡くなっていれば、もっと感情的に(憎悪をもって)戦争を追憶することが出来るのかな?過去の戦争の目的と成果、そして余りにも愚かな結果。その不均衡さとナンセンスさへの呆れと怒りを禁じ得ないが、さて、その怒りがリアルかどうか質されたらチョット怪しいです。しかし私の憤怒の真偽は怪しくとも、1945年3月10日、米軍のB29機によって焼夷弾が投下されて、約10万人の市民が虐殺されたことは紛れも無い事実です。
下町に密集する木造家屋をいかに効率よく燃やし尽くすか、という点を重視し開発された焼夷弾。アメリカは日本家屋を再現して投下実験までして殺傷能力を向上させた、この非道な爆弾を作っているその時も、日本の国民は「消せば消える焼夷弾」と唱えて防空訓練を重ねていた…。その名残の防火水槽も最近はあまり見かけなくなりましたが、避難よりも消火活動を義務づけられていたことを思うと、本当にやるせないです。過去にこの「民間防空」をテーマにした『大日本防空戦士』という作品を制作したことがありますが、この「民間防空」は、すなわち「防空法」という悪法に基づくもので、「非常時」であるから国民も持場(住居や職場)を死守する戦士にならなければいけない。という無茶な主旨の1937年に制定された法律で、更に40年の新体制に入ると「隣組強化法」によって地域ごとの相互監視が高まり、防空活動の意識も強化されたのです。
1932年(昭和7年)ごろから「非常時」というフレーズが登場し、国は何かにつけ「非常時」を大義にして体制を強固にし、その時代背景には関東軍の数々の謀略によって満州国が建国され、国内では犬飼首相が暗殺されたりと、国内外でテロが起き、日本の国際的立場も怪しくなって軍国主義が加速したということがあります。そしていよいよ連合国との対立が深まった40年には大政翼賛会が結成され、一億総火の玉の「新体制」の自覚を国民に迫るようになります。この新体制のもとに治安維持法、国防保安法、国家総動員法、国民優生法といった名立たる「悪法」が制定されたわけです。
国が「非常時」だからとか「新体制」だから、と言う時はアブナイ!従順で良い子な国民でいるとうっかり煽られ唆され騙され乗せられる!…非常時と新体制、この言葉は安倍晋三が最近生み出した新語『新事態』と似てはいないだろうか?うがった見方をしすぎでしょうか?しかしチョッとばかり疑い深くないと危ない、何だか怪しい「国家」になってきたと思う。
70回目の東京大空襲の日を迎え、敗戦70年目の節目にとなる今年、『総理談話』をどうするか?という実際どうでもいい(どうせ安倍史観の支持者と中国、韓国の反応を配慮した折衷案をヒネリ出すだけで中身が無い)ことだけがニュースになって、じゃあ日中戦争、太平洋戦争って何だったのかという検証は「談話」の話題で煙幕が張られているよう。NHKだって安倍のスタンス次第で戦後70年番組を編成すると公言してはばからないのだから、メディア統制も楽勝ですね!

そもそも70周年だから「戦後」を意識するというのがおかしいと思います。
…話は戻りますが、父が今回受けた治療は「内視鏡治療」で、今問題になってる「腹腔鏡手術」より軽度のガン患者の受ける治療方法です。しかし、内視鏡であれ腹腔鏡であれこの方法が一般患者に施術されるまで「臨床試験」が重ねられたはずです。医療の進歩の陰には無数の「失敗」や「犠牲」がある、というのは暗黙の了解で言わば大前提といっても過言ではないでしょう。医療の進歩という大義名分と共に、医師のキャリアと病院の実績作りが存在していることも、多くの人が薄々勘づいてることでもあるのですが…。群馬大病院の40代医師による医療過誤(もはや過誤ではない)の犠牲者8人は、医師の実績を積み重ねる「数字」の人柱にされてしまった、そんな風にも見えてしまいます。
日本の傀儡国・満州は日本にとって巨大な「試験場」でした。鉱山開発、農畜産、鉄道といった産業面(満州五カ年計画は安倍総理の祖父、岸信介の主導)をはじめ、731部隊の「医療研究」、516部隊の「化学兵器開発」など様々な方面において「試験場」として活用されたのです。人体実験、生体解剖などが行われていたといわれる731部隊でも、医学の発展という名文に薫陶された医師による暴走があったのかもしれません。実験材料として捕えた現地民を「マルタ」と呼び、欲望のまま実験を積み重ね、いずれ本国に戻り、その日本では絶対に得られない実験データーを思う存分に活かす算段だったに違いありません。この戦争犯罪、医療犯罪のデーターが現在の医療に数パーセントでも寄与してるのだろうか?マルタの人柱も数本含まれてるとすれば、今の輝かしい先端医療の礎はやはり戦争の歴史と地続きであることは否めないでしょう。(731、516の貴重な研究データーは米軍に譲渡され、後の冷戦に活かされた。住友金属鉱山が土呂久のヒ素鉱山を買ったのもベトナム戦争で毒ガス需要があると見越したからかな?)
そう考えると、「戦後」と区切りをつけた45年以降の冷戦下でも同盟国アメリカに協力しつづけ、見えない形で「参戦」してたのだから戦後ではない。棄民をしてまでもアメリカに追従するのが安倍ちゃんちのファミリーヒストリーだから、これからもきっとそうだ。
安倍総理が「談話」で何を発表するのかは大した問題ではない。談話の話題に振り回されずに「総括」できるかどうか?それは戦後70年の今年に限ったことでは無く、歴史の総括は、逆にこちらから体制を「監視」するために、自分たちが持ち合わせておかねばならない知識、ですが、どんだけ正しい情報がこの地上に残り続けることでしょう…。以前にクロ現で観た「霞ヶ関の職員が公文書を機械的に廃棄する」たった4台のパソコンを並べただけのオフィスを思い出すと暗澹とした気分になります。(これはガチで『1984』の情報ダストシュートと同じ仕組みです!)厭世的になりたい程、つくづくウンザリする世の中だが風間家の強運(異能者?)を信じて、この東京の空の下で生きて行こう〜っと。