月別アーカイブ: 2014年3月

空と毒瓦斯(3)

来たる戦争にたいする覚悟を迫る「仮想戦争ショー」…絵葉書の続きです!

西郷さん
「関東防空大演習記念」
上:防毒班及救護班の活動….どこか心ここに在らずな様子。腕章オジさんの遠い眼差し。
下:上野公園に於ける聴音機及高射砲….何だか、もう幻想的。黒い巨人襲来!(西郷さん)
ミノ
「帝都空襲 防護班の活躍」
精霊がやってきた!森の掟を守れば精霊は何処にでもやって来る!
木版画防空
「神戸防空演習」昭和8年7月28日(美しい木版画の防空絵葉書)キリヌキ
「大阪防空演習」昭和8年7月27日(新聞のキリヌキを貼った私製絵葉書とスタンプ)
スタンプ
「名古屋防火演習記念スタンプ」昭和10年9月

 

空と毒瓦斯(2)

化学戦の話に移るまえに、今日は昭和8年(1933年)8月9日〜11日開催の「関東防空大演習」とそのほかの都市で開催された「防空演習」の記念絵葉書を紹介します。
関東防空大演習の絵葉書は洒落た袋に入ったセットで色々出版されており、ビックリするほど豊富なバリエーションです。この大演習は空前絶後の「仮想戦争ショー」として東京はもとより日本全国で注目された巨大イベントだったのです。戦争の逼迫感よりも戦闘機、高射砲などの兵器、防毒面と毒ガスにみたてた煙幕、爆破の実践などの物珍しさが絵葉書から伝わってきます。
昭和6年に満州事変が勃発し、昭和8年には満州国建国を巡って国際連盟を脱退し、日本は国際社会からの孤立を深めていった時期ですが、まだまだ庶民の空気は「戦勝ムード」で日本の本土が攻撃されるという実感は無かったと思われます。
この大演習開催後に、ジャーナリストの桐生悠々が『関東防空大演習を嗤ふ』という痛烈な社説を信濃毎日新聞にて発表しています。…本土が空襲されるという想定は最早敗北の戦況下であることを指摘し『平生如何に訓練されていても、まさかの時には、恐怖の本能は如何ともすること能わず、逃げ惑う市民の狼狽目に見るが如く、投下された爆弾が火災を起す以外に、各所に火を失し、そこに阿鼻叫喚の一大修羅場を演じ、関東地方大震災当時と同様の惨状を呈するだろうとも、想像されるからである。しかも、こうした空撃は幾たびも繰返えされる可能性がある。』とまさにその後の空襲の惨状を予言しています。そして迎撃作戦の必要性を唱え、迎撃作戦をシミュレーションしない防空演習を『壮観は壮観なりといえども、要するにそれは一のパッペット・ショーに過ぎない。』とも指摘をしています。この文章は一方的なファシズム批判というよりも、冷静かつ客観的な分析と読めるのですが、陸軍サイドはカンカンになり、長野の在郷軍人らで信濃毎日新聞の不買運動を展開し、やむなく桐生悠々は退社することに…。ちゃんと文章を読めないところが軍人っぽいな〜!かなり舌鋒鋭くイカした文章なので全部引用したいのですが、いかんせん長いので興味のある方は、どこかのサイトで読んでみて下さい。

タトウ
記念絵葉書の袋:左上から時計回りに
「世界未曾有の壮挙 関東防空演習実況」「関東大防空演習 帝都空襲に遭はば」
「防空展(東京大丸)」「防空絵葉書(国民防空協会)」「関東大防空演習記念」
「関東防空大演習記念 帝都空襲 防護弾の活躍」
防空絵葉書
関東防空大演習の記念絵葉書たち…48枚
三色防空
「帝都空襲に遭はば」
上:すは毒ガス来襲(防毒覆面をつけて出動)
中:投下毒ガス弾の中和作業
下:救護班の活躍…女学生は手ぬぐいがマスク代わり。
イラスト防空
「帝都空襲に遭はば」(劇的!イラストバージョン)
上:高射砲及び高射機関銃の活躍
中:猛毒中和作業及び高射機関銃・高射砲の活躍
下:照空燈及びラッパ型聴音機・消防隊の活躍
軍用犬
「関東防空演習實況」
上:消火に務むる防火班…..誰も消火活動せず、家屋全焼のもよう!!
中:投下されたるガス弾を消毒中の防毒班….ホースが絡まっちゃった!
下:空襲に備へる軍用犬隊….見よ!防毒面装着の軍用犬の勇姿!

空と毒瓦斯(1)

関東防空演習市民心得:序言

今夏八月中旬を期して決行せられます関東防空演習は「関東防空演習の概要」にてお分かり下さる様に実に空前絶後の大規模の演習でございます。
近代科学の異常な躍進はその際限を予知することは到底出来難いことで、これを戦争の一例にとって見ましても昔の戦争とは全く趣きを異にし第一線の勇猛果敢な軍隊に決定的な結末をあたえない以前に敵国の爆撃飛行隊は容赦なく国土上に空襲し平和の誓約など何のものかは一片の反古紙同様で地物を破壊する爆弾や、凄惨な毒瓦斯を発散する毒瓦斯弾や、疫病を蔓延させる細菌弾や、鉄筋、鉄骨のコンクリート建築物を紙の様に焼き払って三千度以上の高熱を出して、しかも自ら酸素を供給してドンドン燃え広がり消火の水など何の役にも立たないという真に始末に負えない焼夷弾などを遠慮会釈もなく随所へ盲目滅法に投下してまず銃後の国民をして第一に戦意を喪失せしめるのであります。
こんな事を想起し而も複雑した国際関係に想到するとき誰が思い半ばに過ぎないものがありましょうか。この意味に於いて軍民一致協力して国内的にも対外的にも帝都市民の名を恥づかしめないように努力せねばならないのであります、今回の演習はその実習として行われるのでありますから市民各位は直接に間接に本演習所期の目的達成に御協力下さるように御願い致す次第であります。

昭和8年8月、東京市は冊子「関東防空演習 市民心得」の序言で、防空演習を開催する意義の表明と市民の心構えを記しています。千葉、神奈川、埼玉、茨城と東京市を防衛要地に指定した大規模な演習を行うにあたり事前に市民の協力を促したわけです。
この段階で「ドンドン燃え広がり消火の水など何の役にも立たないという真に始末に負えない焼夷弾」と焼夷弾が水で消火出来ず始末に負えないとわかっていたのに、太平洋戦争期には「消せば消せる焼夷弾」というスローガンで消火活動を強要したりと矛盾を感じるのですが、この昭和8年の当時には「毒瓦斯」の恐怖を全面に出してます。演習の写真もガスマスク姿です。なぜ「化学戦」を過度に意識するのか?理由があります。(次回へつづく)

防空大演習
吾等の帝都は 吾等で護れ!「関東防空演習 市民心得」東京市 昭和8年8月
毒瓦斯
ホスゲン、ヂフエニール、アダムサイト、アセトフエーン、ベンヂール、ピクリン、イペリット、
ルイサイト…..一般市民が得るべき情報としては詳細すぎる毒ガス知識。
特臭:腐った林檎の臭、特有の臭(ザックリ…)芥子の臭(阿片?)ドクダメの臭(ドクダミ)

防空必勝の誓

一、私達は「御國を守る戦士」です。命を投げ出して持場を守ります。
一、私達は必勝の信念を持つて、最後まで戦ひ抜きます。
一、私達は準備を完全にし、自信のつくまで訓練を積みます。
一、私達は命令に服従し、勝手な行動を慎みます。
一、私達は互ひに扶け合ひ、力を協せて防空に当たります。

…この文章は昭和18年版『時局防空必携』という小冊子の冒頭にかかげられた「防空必勝の誓」です。空襲のさいには逃げずに防空に努めろ。つまり命を投げ出しての消火活動が義務づけらています。「戦士」の自覚と命令への「服従」を「私達」は宣誓している、否!強要され誓わされているのです。ここでの戦士とは銃後の守りを任された中高年男性と女性達のことなのです。
『防空必携』は太平洋戦争中、昭和16年頃から内務省によって刊行、販売された防空マニュアルで、一家に一冊常備し、家族全員で熟読したあと隣組の常会で研究するように。と徹底した教育に活用されていました。
この『防空必携』を手にしたのは5年前。VOCA展に出品する「防空」をテーマにした作品を制作するために集めた資料のひとつでした。以前から非人道的な無差別攻撃「空襲」には怒りに近い関心があったのですが(03年に空襲のインスタレーション作品を制作)、その後戦時中に「民防空法」というトンデモない法律(昭和12年制定)があったことを知り「民防空」に対する興味と憎悪に火がつきました。
そして、この「防空必勝の誓」を一読して憎悪爆発です!こんな理不尽で不条理なことを命令してくる内務省とその外郭団体「大日本防空協会」ゆるせない!燃え盛る炎、降り注ぐ火の粉の火焔地獄のなか、バケツと火叩き(絶対無理)で戦えとは!しかも隣組という組織にしばられ逃げることも許されないのです。この無意味で非情な命令への服従と束縛によって、どれだけ多くの生真面目な臣民が命を落としたことか…。
わたしは怒りに任せて大量の「防空」資料を買い漁った!…防空という言葉が世を跋扈しはじめたのは、関東軍が満州で軍事活動をはじめ張作霖事件などをおこした昭和3年ころ。大阪の防空演習を皮切りに昭和8年には「関東防空大演習」という防空大イベントが催され、色々なバリエーションの絵葉書セットが発売されました。このように昭和3年から太平洋戦争末期にわたる15年以上のあいだ様々な出版物で啓蒙されつづけたので、いざ「防空関係」の資料を集めよう!と意気込めば入手は容易です。初期のガスマスク着用スタイルから更生服(着物から防空服へとリメイク)と防空頭巾へと至る変遷もかんたんに辿れます。っていうか、ガスマスクや防空頭巾の虜になってしまった。セーラー服+ガスマスクのスタイリングの毒々しさ…。憎しみを凌駕して最早LOVE !!!

こんな経緯で内務省の刊行物、雑誌、絵葉書と多くの資料が手元に残りました。そして、この大日本防空協会=内務省悪との出会いがわたしの『 内務省HATE 』の始まりだったのです。
戦前戦中の「統制」から戦後の「原子力導入」まで、内務省という官僚組織の強大な力が糸を引いています。この「防空必勝の誓」に表れた冷酷さが巨大官僚組織の性格なのです。
…東京大空襲の死者は10万人以上、本土空襲全体では50万人以上ともいわれています。はっきりと死亡人数が判明しないところが被害の甚大さを物語っているのです。
「御國を守る戦士」として、持場を死守して亡くなった人が大勢いたといわれる東京大空襲の日は3月10日です。

防空必携
「時局防空必携」昭和十八年改訂
発行者:内務省、発行所:財団法人 大日本防空協会 定価 四銭(ポケットサイズです)
必勝の誓
「防空必勝の誓」一、私達は「御國を守る戦士」です。命を投げ出して持場を守ります。

13_VOCA2010_KAZAMA_0
「大日本防空戦士2670」 2009年制作 182×360cm

忘却禁止月間

「忘却」は恐ろしい。さっきニュースを見るまで、今日が第五福竜丸がビキニの核実験で被爆した日だったことを「まるっきり」忘れてた。横浜美術館で展示中の作品「噫!怒濤の閉塞艦」を前に「これはビキニの核実験に使用された戦艦武蔵です。」などと説明したのは昨日の話、なのに!
…毎日かならず前を通る家でも、取り壊されて更地になってしまうと「あれ、どんな家が建っていたっけ?」と思い出せないことがある。自分は覚えているとおもっていることが過信であることに気付き愕然とする。今日の気持ちはそれに似てる。…核の歴史に関心をもってリサーチして作品にしたはずなのに情けない。忘れてしまうことの容易さを改めて痛感しました。
「噫!怒濤の閉塞艦」は人間がどんなに忘れっぽいかを踏まえて「忘却の防波堤」を築くような思いで制作した作品です。それなのに作った本人が忘れてるしな〜。自分に激怒!!
60年前、1954年3月1日。この日にマーシャル諸島沖で、アメリカ軍によっておこなわれた水爆実験「キャッスル作戦」で炸裂した水爆ブラボー。日本のマグロ漁船「第五福竜丸」は大量の死の灰を浴びて被爆し、半年後に無線長の久保山愛吉さんが死亡しました。
そして、60年前の3月2日、第五福竜丸が被爆したその翌日、日本初の原子力研究開発予算が国会に上程され通過する。2億3500万円、ウラン235に因んだ金額です。(ふざけてんの?)
ちいさな漁船一艘が被爆したってなんのその、原子力平和利用が解禁された好機を逃すまじ。というのが本音でしょうか?日本の国家は棄民上等ですから!!!
核開発の「おどしあい」の犠牲は第五福竜丸だけではない。核保有の大国は、自国の本土から遠く離れた「領土」で放射能汚染が確実な実験をくりかえし、大きな声をあげない住民を犠牲にしている。力の見せつけ合い、牽制のために莫大な金が浪費されて人命や健康、環境が犠牲になる。これが『平和』の代償というのなら本当にバカげてますね。
とにかく「3月」は忘れてはならない出来事が目白押しの忘却禁止月間です!

閉塞艦(部分)
『噫!怒濤の閉塞艦』の部分。2012年制作
左から広島、長崎、ビキニの原子雲。海上には実験に使用された戦艦武蔵と巡洋船酒匂、
そして手前に「第五福竜丸」。(この作品は横浜美術館で展示中です!)

☆告知☆ 『魅惑のニッポン木版画』横浜美術館にて5月25日まで開催
「噫!怒濤の閉塞艦」「平成博」「戦後60年双六」を出品してま〜す!