2020年、東京オリンピック(ディスリンピック)開催。これで1964年開催のオリンピックとあわせて2回目となりますが、「もし」1940年に開催されていれば3回目になった訳です。
皇紀2600年、神武天皇が即位してから2600年という節目の年がこの1940年(昭和15年)にあたります。この記念すべきデッカイ節目を祝うために、国家をあげて奉祝イベントをガンガン催して、同時に「新体制」の教育、自覚の強化を計ろうとしました。この奉祝行事の二本柱が「東京オリンピック」と「万国博覧会」だったのです。しかし日中戦争の長期化、国際情勢の悪化を理由に開催を断念せざるおえなくなり、この2つの夢は64年の東京オリンピック、70年の大阪万博と、戦後の高度成長期まで実現は持ち越されました。
1940年東京オリンピックの前の開催は、いわずとしれた1936年開催のベルリンオリンピックです。第一次近衛内閣の昭和13年あたりから「新体制」の良きお手本として「ナチス・ドイツから学ぼう!」という気運が盛んにありました。このベルリンオリンピックの成功は日本にとって最大の目標になったはずです。ナチスの権力、アーリア民族の優秀性、ドイツの偉大さを大衆を動員してビジュアルで誇示するという格好のイベントは、リーフェンシュタールの「オリンピア」をはじめ強烈なプロパガンダの遺産として残されています。
では、日本ではどのように報道されたのか?この素晴らしい大会を記録した雑誌はかなりいろいろ出版されたようです。この『伯林オリムピツク大観』もそのうちの一冊になります。
日本の記者が取材したせいか、ナチスのマスゲームや式典よりも日本人選手の活躍の記事がおどります。屋外のトラックで陽光をあびながらの競技は、現代の「いかにも」なオリンピック競技場のキラキラ感とはまた趣きが異なりホノボノとした雰囲気です。ナチスの統率のきいた演出の絵柄を期待してたのですがちょっと肩すかし。ヒトラーもこの時だけは人種差別をグッとこらえて、すべての選手に拍手を送ったり、イギリス、アメリカの選手もドイツ選手とにこやかに記念撮影におうじたりと和やかムード。ヒトラー、大観衆、ハイルポーズのカットを除いてみると普通の「大きな体育大会」という感じすらします。
そして、この雑誌で一番気になったのは表彰台の写真…。一位になった選手が表彰台で受け取るのは金メダルではなくて「植木鉢」という事実!選手が首からメダルをさげてる図はまったく見当たりません!いやメダルの写真すら無い!(メダル授与は別にあったようですが…)
表彰台の一番高い所にのぼった名誉ある選手の手には「植木鉢」。この記事には樫の木と表記されています(柏との説もあり)。どうやらドイツの格言「樹木のようにもっと伸びよ!」に由来するそうですが。ベルリンオリンピック限定だったのでしょうか?謎です。調べてみます。
昨今のオリンピックみたいに「メダル!メダル!」と必死こいて、あげく大会後も誹謗中傷合戦を繰り広げるよりも、まずは「植木鉢」授与っていいな〜。クールダウンできそうです。

『伯林オリムピツク大観』中国新聞社発行 昭和11年10月 定価60銭

裏表紙の広告:「事実が示す一等国の一等品!この優良な四大ビール大壜各一本の栄養価は鶏卵四個、牛乳三合に匹敵す」マジで?そんなに栄養があるのか…どんどん飲もう!

女子飛込の選手。胸にハーケンクロイツ水着のドイツ選手とアメリカ選手2名。
ブロンド髪のドロシイ選手はグラビアモデルさながら!仲良くパチリ。

砲丸投げで金銀獲得したドイツ選手。植木鉢を片手にHeil!の敬礼。

マラソンで優勝した孫選手。植木鉢を授与され壇上から降りたところを、パンツ一丁のドイツ青年たちが拍手で迎えます。…孫選手の浮かない表情は植木鉢のせいではなく、日本統治下の朝鮮半島出身で「日の丸」を胸に走るのは不本意だったからだと推測されます。ベルリンでサインをもとめらたさいに「KOREA」と書いた事で特高の監視対象になってしまったとか!ひどいね。

オリンピックの応援に乗り込んだ東京市議からヒトラー総裁へのプレゼント。
『紋付一式』!この気の利かない変な贈り物に総裁もビミョーな顔。。。。
(…「家紋」はやっぱり鷲に逆卍の第三帝国の国章を染め抜いたのでしょうか?)
















