月別アーカイブ: 2014年9月

五反田の風。

うん!さわやかっ(八千草薫風に)。今日は電車に乗って五反田・南部古書会館へ…っていつも電車でGO!ですが今日は経路が違います。東急の路線を利用すれば運賃が往復200円も安い、ということに最近やっと気がつき大井町線経由、初の池上線でいざ五反田へ。温室のように燦々と陽の差し込む車内、学ランにズックの肩掛け鞄、古い松葉杖をついたオカッパ頭(マヴォイストのよう!)の印象的な中学生…秋の穏やかな昼下がり、初めて乗車する電車を堪能しました。
途中、大井町線の急行に乗れば時間短縮できるのですが、あいにく逃し各駅停車。・・・のろい、というか停車駅が多いので五反田が果てしなく遠くに感じる…。遠回りして200円浮かすか?運賃を多く払ってでもJRで楽に行くか?…次回は時刻表をちゃんとチェックして急行乗車で再チャレンジしてみます。
高校生の時は、蒲田のユザワヤまで生地を買いに行くのに(通学用に地味なゴスロリ衣装を縫ってた)頻繁に目蒲線を利用していたものです。14年前に目黒線、多摩川線に分割されて「目蒲線」は消滅してしまいました。「めかま」というちょっとダサめな響きと、設備の古ぼけた感じが大好きだったので残念です…。池上線の木造のホームが目蒲線にそっくりで懐かしかった〜。やはり木のホームはいいですね。
そして、久しぶりの「遊古会」は勿論楽しめました〜。一階ガレージの古書の山には毎回興奮させられます。到着して直ぐは目が泳いでしまって、何処からどう探したらよいやら落ち着きません!今日も欲しかった本が不思議にそろってて良い買い物が出来ました。明日(27日)もありますので是非のぞいて見て下さい!!

本9:26
本日の収穫。こんなに買って2100円!安い!
東急線利用で浮いたお金200円、マヤコフスキー1冊分也。
nanbu
薄暮の南部古書会館。前列の本の山ほとんどが200円!
どうです?そそられる光景ではありませんか?

南部古書会館 ←今後のスケジュールです☆

キャベツとトーチカ君

近頃とっても野菜の値段が高いですよね。この夏の天候不良が原因なのでしょうがありませんが、これに消費税8%上乗せすると「レタスが320円?ここは紀ノ国屋か!?」というお値段に…。肉は大嫌い、魚は切り身とツナ缶ぐらいしか食べない草食派としては、高くても野菜しか食べるものがないので、この高騰はかなり痛打です。
しかし生野菜を食べないと気が変になりそうなので、ここしばらく、レタスの代用品としてキャベツを食べてます。半分カット108円で買ったキャベツ数枚ちぎって、人参の千切りと貝割れ大根(35円。一番安価な緑色)、仕上げにブラックオリーブをトッピングすると配色的にはカラフルなので楽しい気分に!(安上がり)そしてレタスに比べ咀嚼が必要なので満腹中枢にダイレクトに働きます。もうキャベツがあれば何でも乗り切れる気がして来た!貧困に喘ぐ庶民の常備食として、小説にも度々登場するキャベツですが、なぜキャベツなのか、やっと分かりました。そろそろキャベツの芯みたいな、湿気くさい臭いを放つ人間になりそうで〜す。

キャベツのほかに、もう一つのお気に入りは「ひとくちカステラ」です。これは100円ローソンのプライベートブランド商品で、100円ローソンにしか売ってません。あんこの入っていない人形焼きのようなお菓子です。人形焼きより軽くて洋風で、カステラほど濃い味ではないので、コーヒーを飲みながらつまむのにもってこい。そして、味以上に気に入ってるのは「かたち」!パッケージには「たのしいおもちゃの形をした ひとくちサイズのカステラです」と書いてありますが、「おもちゃ」なのかサッパリよく分からないモノが多くてすっごく笑えます!このカステラをデザインした人に感謝したいぐらい心が和みます。ありがとうキャベツとカステラを作った人!!

vl1
バリューライン「ひとくちカステラ」ごめんね税込み108円。
たのしいおもちゃ?の形をしています。
vl2
可愛いカステラの一部。右からカニ、ロボット、タヌキ、不明?
他にはパンダ、自動車、船、ピストルetc.あります。
vl3
これは船の背面。どこか吹きっさらしに佇むトーチカみたいな趣きがあります。
vl6
これもトーチカ風。一体これは何の形を表現したのか?謎の物体。
vl5
キン肉マンに登場する超人「ベンキマン」似の眼差し。
vl4
焼き色、潰れ加減で表情が変わるトーチカ君。
何をデザインしたのか不明だけど、この脱力感がたまらない!

 

二人の志願兵

第一次世界大戦が勃発したのは、今からちょうど100年前の1914年。嵐のような銃撃、砲撃によって激戦地となったフランス北部の野原。かたやドイツ軍の野砲兵として、かたやフランス軍の騎兵として、塹壕をはさんで戦火を交えた〝かもしれない〟画家 オットー・ディックスと小説家 L=F・セリーヌ。二人は志願兵としてこの戦地へ向かったのである。

開戦当初の「クリスマスの夕餉には戦場での武勇談が披露出来るだろう。」というロマンチックな気運に踊らされ、多くの青年が兵隊に志願した。彼らもそんな青年達の一人だったのだろうか?ディックスは24才で、セリーヌは18才で志願兵となった。しかし待ち受けていた戦場は、ロマンもヒロイズムも存在しない、死と恐怖が支配する不条理の世界だった….。セリーヌは半自伝的小説『夜の果ての旅』のなかで劣悪な軍隊を呪い、主人公にこう独白させる「完全な敗北とは、要するに、忘れ去ること、とりわけ自分たちをくたばらせたものを忘れ去ることだ、そして人間どもがどこまで意地悪か最後まで気づかずにくたばっていくことだ。~~何もかも逐一報告することだ、人間どもの中に見つけだした悪辣きわまる一面を、でなくちゃ死んでも死にきれるものじゃない。」
そして、ディックスも戦場日記にこう綴る「戦争もまた、自然現象として、観察されなければならない。」…死臭漂う絶望的な地獄。敵対する陣地で二人の青年が見いだした生存目的は、奇しくも同じ『醜悪さを観察し記録すること』だった。

オットー・ディックスはいわゆる「ノイエ・ザッハリヒカイト/新即物主義」の画家で、私の好きな作家の一人である。主な画業は、銅版画50点の連作「戦争」や、第一次大戦後のドイツの貧困と堕落を赤裸々に描いた油絵などである。戦争と弱者を描いた、なんて書くと、まるで反戦主義のヒューマニストのようだが、作品を一目見れば、それが全くの誤解だったことに直ぐさま気づくだろう。「戦争」版画では、塹壕のドロ水で膨れ上がった死体、腐乱死体の横でとる飯盒のメシ、崩壊した肉体でまだ息をする兵士など、泥濘とウジと腐った体液にまみれた死屍累々が描かれている。嘔吐感を覚えるような目を背けたくなる作品には「正義」もなければ「平和の祈り」も無い。感情の麻痺した空虚な世界に横たわる、明らかに人間の尊厳を失った「非人格の死体」が冷徹に描写されているだけなのである。
そして4年にもわたる兵役を終え、この地獄から帰還し故郷ドイツで目の当たりにした光景。それは敗戦によって荒廃し堕落した市井の姿である。オモチャのように路傍にころがる傷痍軍人、性欲まるだしの水夫を相手に春をひさぐ娼婦達、八方塞がりの貧民、それを尻目に戦争特需に沸くブルジョワジー….戦場で死線を掻い潜ってきたディックスの目に、これら「生の退廃」の光景がどれほど醜悪に映ったことか!その市民に対する憎悪むきだしの油絵の数々は、どぎつく悪趣味で『醜悪』そのもの。水夫の体臭、貧民街のドブの臭い、娼婦の安香水など、鼻をつく悪臭が画面から発散されている。
….死出の予感を押し殺し、成り行きまかせに手繰り寄せる刹那的生存の連続『夜の果ての旅』で主人公バルダミュが彷徨する世界は、欲望と欺瞞と不信と無気力の坩堝である。その世界を巡る人物を想像する時、ディックス作品の生活者の人間性を暴露した、あられもない「人相書き」と思わず突き合わせてしまう。
ディックスが戦争の悲惨を描きながら「反戦画家」とならない所以は、市民に対する憎悪にあると思う。作品にはルオーが弱者に向けた博愛的慈愛の眼差しなど一切無い。平和主義の善意、未来への希望の兆しなど、一般市民に分かりやすい記号も皆無。市民に寄り添うどころか、露骨なリアリズムには悪意しか感じない。戦争も醜悪なら、戦争に容易に参加してしまう市民も醜悪なのだ。「自然現象」である戦争や権力支配に抗えない「弱者=市民」を醜く描くこと、それは強烈なニーチェアン(戦地にもニーチェ本持参!)であるディックスにとって至極当然のことだったのかもしれない。(これらの魔術的リアリズム絵画はナチス政権によって押収され「退廃芸術展」などで弾圧された。)

この愛されない画家、ディックスの戦後は不遇であった。終戦直前に54才で徴兵され、フランス軍の捕虜となり再び帰還した西ドイツの美術界では、アメリカのモダンアート、民主的自由の風を求めていた。美術館の予算はニューマン、ポロック、ロスコなど新時代の幕開けを象徴する抽象作品に注がれ、暗い時代を思い出させる「不愉快な」ディックスの作品は見向きもされなかった。アトリエから出ることの無いグロテスクな絵画とともに、貧しい晩年を過ごしたそうである。
一方、セリーヌは、反ユダヤ主義の立場で発表した文献がもとで戦争犯罪者となり、亡命先きのデンマークで投獄されたが、皮肉なことに第一次世界大戦の軍功を理由に特赦される。しかし戦後は彼の存在も作品も黙殺され、ディックス同様に貧困と不遇の晩年だった。・・・どこか奇妙に人生のかさなる、二人の過激描写リアリスト。「砲弾がひとつ、人間がひとり——偶然の交差点をもつ二曲線は、交差点があるかどうかもまた偶然…。」砲弾の飛び交う戦場でディックスはこう呟いた。それもまた然り!
「祝福することのできぬ者は、呪詛することを学ぶべきである」(ツァラトゥストラはこう言った)…あまりにも人間的な世界を祝福することのなかった画家と小説家。否(ニヒト)と否(ノン)。俺たちの吐く悪態、描かれた醜悪に我慢できるか?肯定と折り合い、口当たりの良さを求める善良な市民諸君よ!…死ぬまで否、死んでもニヒトって言い続けたいものであります。

(…セリーヌ読んで時間をつぶしてから森美「リー・ミンウェイ展」のレセプションへ。読後感を引きずったままシラケた気分で作品鑑賞。絆アートとの食い合わせは最悪です)

od8
銅版画シリーズ『戦争』(1924年制作)より
「クレリィ=シェ=ソムの絶壁で見たもの」
od2
「死人(サン・クレマン)」
od3
「移植手術」
od4
「サロン1」(1921年) 油彩 86×120.5㎝
od5
「母と子」(1923年)油彩  82.5×48㎝
od9
「ジョン・ペン」(1922年)水彩 73×50.5㎝
od7
「オットー・ディックス展」カタログ (1988年 神奈川県立近代美術館ほか)
「夜の果ての旅」上下巻 セリーヌ/生田耕作訳(中公文庫:1982年刊)

俺は左ビ心房

友人の井上幸治さんが執筆した『風間サチコ論ー植民地表層の現在』が、美術手帖・第15回 美術評論募集で佳作に入選しました〜オメデトウ!正直言って、私をテーマに論文を書いたところで勝算ないだろうな…と勝手に予想してたので(ごめんなさい!)素晴らしい結果に驚きつつ、題材になった当人としては嬉しい限りです。
作家としては、自作について自分でしゃべったり書いたりするタイプなので、こうやって評論するのは、かえって難しかな?と思いますが、10年以上にわたって、初期の作品から見続けてくれたキャリアならではの視点で、井上さんなりの考察をしてくれてます。
この論文のなかで初期の作品について多く触れられていますが、今となっては、知ってる人も覚えている人も稀な、超レア作品『俺は左ビ心房(おれはさびしんぼう)』の出典があり、意表をつかれて笑ってしまいました。この『俺は左ビ心房』は、東京画廊で発行していた「画論誌テオリア」の巻頭に連載していた版画マンガです。美大志望の予備校生・左ビ心房(過去の事故によって、頭蓋の代わりに心臓がアタマになっている、という無茶な設定)は自尊心が人一倍強く、その勘違い行動で周囲との摩擦を自ら招いている…そんな彼の日常を2コマまんが(対岸の火事編は特別コマ割)にした作品です。
『風間サチコ論』を読んでいて「え?左ビ心房って何?!」ってことになると思うので、先に紹介することにしました。ご参考まで!我ながら妙な作品なので、発掘され次第またボチボチここで紹介しようかな〜と思ってます。

sabisinbo
『俺は左ビ心房(おれはさびしんぼう)(3)対岸の火事編』2001年
「え〜!?何っ?ワールドトレーディングセンター崩壊!?
….おっと、お湯が沸いた。3分待てと…」
な〜んてカップラーメン作っている間にリプレイ画面に。という対岸の火事報道。
tra
こんな感じで巻頭連載。
theoria
「画論誌テオリア 第3号」2001年11月(発行:東京画廊)

☆『風間サチコ論ー植民地表層の現在』は美術手帖のサイトで読める(予定)です!

ごめいわく?

さっきNHKアーカイブス『シリーズ1964 第1回 東京オリンピック 平和のメッセージ』を観ていて、「そう表現するのかな?」と所々にでてくる「迷惑」という言葉に違和感を覚えた。番組は2007年制作の「その時歴史は動いた 東京オリンピックへの道」を再放送して、それを手懸かりに次回の東京オリンピックをどのような平和の祭典にするか考えてみましょう、という内容。
64年の東京オリンピックで「平和国家日本」に生まれ変わったということを世界各国、とくに根強い反日感情を抱くアジア諸国にどうアピールしたか…。40年の幻のオリンピック、64年の東京オリンピックと招致活動に尽力した田畑政治氏の提案で、中国、朝鮮半島以外の戦中に「迷惑」をおかけしたアジア諸国を聖火リレーで巡ることが実現し、それをきっかけに和解ムードがうまれた。というエピソードが紹介されるなかで度々、日中戦争、太平洋戦争での日本の行為を表現する「迷惑」という言葉が松平アナの口から出てくるわけです。そしてスタジオに戻って、ゲストの保坂正康氏も同じく「迷惑」と表現してます。日本政府が戦争被害国にたいして「戦時下、迷惑をおかけした」というコメントを聞くたびに「はぁ?迷惑ってレベルじゃないよね?それって反省してないよ〜」と慇懃無礼な謝罪に憤慨。この「迷惑」という言葉のチョイスは、国内向け『配慮』以外のなにものでもない気持ちの悪い気遣いですね。「侵略か?進出か?」と論争されてた頃はまだマシだったな。
そして、アーカイブス放送が終わって、3時のニュースのトップは「朝日新聞が任天堂に謝罪」。どうして連日のトップニュースが朝日の誤報問題なのか?NHKも他のメディアにならって朝日叩きに加わってるのでは、と勘ぐってしまいます。…たしかに大新聞の誤報(リベラル路線をとるか、世相に迎合するかブレまくった揚句)はいけないことだが、産經新聞の反中反韓の下品な記事のほうがよっぽど大問題だと思う。
世の中『炎上』から『筆禍』へ…。朝日新聞の筆禍といえば「白虹事件」を想起せずにおれません!大正7年に起きた米騒動に関して大阪朝日新聞が、時の寺内内閣を「白虹日を貫けり」という凶事を隠喩する故事を引用して批判したところ、この記事が新聞法の「秩序を乱す」にあたるとされて発禁処分されそうになった事件です。この件で朝日不買運動がおこり、社長は右翼グループに襲われ、電柱に全裸でハリツケにされたそうです。恐ろしいっ!そして内務省のドン・後藤新平は右翼をつかって「朝日攻撃キャンペーン」を張り、他誌も尻馬にのったとのこと。…今回の朝日不祥事で、鬼の首を取ったかの如く威丈高になってるどこぞの新聞のようですな!
もう既に、筆禍を招かぬように言葉を選んで『配慮』を重ねるイヤな時代に突入してるのか?どうしてこんなに坂道を転げ落ちるように「暗黒時代」に向かうのか?「筆禍」現象の時代背景とその政治の検証が必要ですね。憂鬱!!!

ちびこ
全長7㎝のヤモリ「ちびこ」と「十二の巻」という名の多肉植物。
「ヒョロ〜っと茎がのびて、面白くも何ともない花が咲くよ」と母が私にくれた植木鉢。
母は昔、サツキの盆栽用に希釈したメネデール(液体肥料)を誤ってガブ飲みしたことがありますが、いまでも元気に育ってます!

…目下の心配。それは早い秋の到来による虫不足です。
冬眠を前に食いだめ必至のヤモリ達が痩せてます…。無事に越冬できるかな?

 

ノン・コミュニケーション

昨日は朝からお腹の調子が悪かった。シャツがペロ〜ンとめくれたまま寝ていて寝冷えをしたのと、午後からプレゼンの予定がありそのプレッシャーが要因だったと思われます。まるで下痢止め薬のコマーシャルのサラリーマンのようでなのであります。
過度のプレッシャーの理由、それは「英語」。まるっきし出来ないうえに苦手なんです…。昨日はロンドンから来日したギャラリー関係者と面会できる機会を与えられ美術館に行ったのですが、しっかりプレゼンしなければ!という意気込みを阻む言葉の壁。もちろん通訳してくれる人はいます、しかし直接お話しするのと人を介するのとでは大きな差があります。一朝一夕に克服出来ない英語力ゼロ問題に「ストッパ」したい!だがとにかく目前のVIP面談を気分で乗り切ろう(やり過ごす方向)と、CDJ気分(?)でグルーミーからハップにチェンジする「TELEX」を朝から3時間ぶっ通しで聴きまくり「これで少しは英語に耳がなれたかな?」って、ほとんどフランス語だしー!ギャフン。そして、この大好きなアルバム『Looking For Saint.Tropez』のコンセプトはズバリ「ノン・コミュニケーション」ハ〜イ、幸先いい感じで〜ス。ハヴァバッドデ〜イ!
このベルギーの3人組テクノユニット「TELEX」の79年発表のファーストアルバム『Looking For Saint.Tropez』は、94年に小西康陽がリミックスしたりで注目され「テクノ革命」という勘弁してほしいダっさい邦題で日本で再発売されて人気になりました。わたしも当時は借りて聴いてましたが、最近やっと入手できて改めて感動!ちゃんと読んだことのなかったライナーノートに書かれた、マルク・ムーラン氏自身による作品解説に「そういう意図があったのか!」と目からウロコな心境になりました。どれも甲乙付け難い名曲がそろってるなか「Something to say」のこれぞテクノポップという曲調がいいな〜と、歌詞の内容もわからず気に入ってました。解説によると、この曲はアルバムの「ノン・コミュニケーション」というコンセプトの意欲的テーマだそうです。ふ〜む、なるほど!
「大陸が世界を分けていたのはもう昔のこと、世界はますます小さくなって、そこで発言せねば」「では、天気でも気にしてみようか」「何か言うべきことが将来でてくるだろうか?」「うまく何かを伝えられるようになるだろうか?」・・・という歌詞です。情報網は発達したけど、じっさい何を発言すればいい?手段以上に内容が問われる、それがノン・コミュニケーション。
「うまく何かを伝えられるようになるだろうか?」YMOは以心電信。以心伝心というわけにもいかないので、まずは英語。だよね。

tlx
TELEXの未来予想図。真ん中のマルク翁はこんな老け方をせず6年まえに66才で他界…
nk
なんとなく、グルーミー・・・。そんな時はモスコゥ・ディスコゥ!
♪ ダンスがおわったらデッカいダイキリを飲もう、TOKYO行きのモスクワ列車みたいだ ♪

…高校生の時、授業で「迫害されるネイティブ・アメリカン」のビデオを見て、侵略者の言葉と早合点し更に英語嫌いに… なんて英語が出来ない「言い訳」のひとつですが。
でもって、ここで告知☆『無人島∞』最後のイベント、加藤翼クンの映画試写会がありま〜す!
アメリカ先住民居留地での「引き興し&引き倒し」ドキュメンタリーを先行上映!

『ミタケオヤシン』試写会:
無人島プロダクション13日(土)14日(日)19:00より(タダだよ〜)

点取り効果

一昨日「虚☆無限大トーク」をご観覧下さった皆様ありがとうございました!ちょっと想定外のこともありましたが、まずまず…無事におえてホッとしております。よく「緊張しないタチですね」と人に言われるのですが、とんでもない!結構てんぱってトークや講演をしているのです。今回も「スマホ見て退屈そうにしてる人がいる〜ヤバい!」と焦り、どう盛り返そうかと必死でした。

…そんな緊張感から解放される良い出来事がひとつ。ヤフオクで落札した『グラフィックの時代ー村山知義と柳瀬正夢の世界』という図録が届き、ホクホク気分で開封したら、ビニールの梱包のなかに小さい手書きの礼状と「点取り占い」がひとつ添えられてました!なんという心遣い!(ヤフオク評価的に、素晴らしい出品者様です。)
この「点取り占い」の存在をすっかり忘れていたので嬉しかったです。87年刊行の宝島『VOW』で知って(衝撃!)駄菓子屋さんに走り即購入。兄妹で一枚ずつめくる度に、喘息が誘発されるほど大爆笑をした楽しい思い出…。でもって、本に添えられてた「点取り様」のお告げはというと。「ぼくが言うまでなにもしてはいけない 5点」・・・ぼくって誰だ?どこにいるのか?いつ何を言ってくるのか?もや〜っと途方に暮れる指令でした。この「点取り占い」をしたことのある人は知ってると思いますが、まず占いではありません。そして王様ゲームのように命令して従わせる遊びでもありません。おみくじ状に小さく折り畳んだ細長い紙に、ものすごく一方的で自己完結な一文 に、妥当とはおもえない点数と◯印が印刷してあるだけです。(10点満点)
「カッパに お尻をなめられる」「おまえの言うことは さっぱりわからん」「馬鹿野郎と どなってよいか」「どんどん走って どこえ行くかわからない」「びっくりさせてやるから待っていろ」etc.
たま〜に「パイロットになる」とか「勉強してえらい」とかポジティブなことを言ってくれるのですが、やはり点取りの醍醐味は理不尽さですね。まためくりたくなりました!まだ現行で売っているのでしょうか?近所の駄菓子屋さんも閉店してなくなってるし。探してみまーす。
『〜村山知義と柳瀬正夢の世界』といえば、ほぼ同時に届いたCD、巻上公一『民族の祭典』に知義と正夢が活動してた尖鋭芸術グループ「マヴォ」のテーマソング?『マヴォの歌』が収録されています。巻上さんが生存していた元メンバーに歌ってもらって、その録音から譜面を起こしたそうです。これはスゴい偉業だ!この歌の「しゃんてん・すとらか・のーらん・めっぽら・ぽんぽら・せっぽんな」という歌詞がいいですねって意味不明だけど…曲調も前衛的というよりもエキゾチック。そこが余計に不思議度アップさせてます。この愉快な「意識的構成派の集団歌」を歌いながら集会していたマヴォに加入したかったな〜。大正時代に生きていたらの話。

MY
「点取り占いをどうぞ…」
5点
なにもしてはいけない。なにも!!…5点

なんとなく、レトリック

なんとなく『なんとなく、クリスタル』を読んでみた。そう、あのヤッシーこと田中康夫氏を若干24才で時代の寵児へと開花させた記念すべき処女作『なんとなく、クリスタル』ですよ!
一橋大在学中に図書館で書いた小説を、河出書房の「文藝賞」(先日入稿した赤瀬川テキストも文藝。なんとなく、縁がありますね)に応募したところ見事入選!単行本はミリオンセラーの爆発的大人気!「なんとなく、クリスタル」も流行語に…と大快進撃だったのです。
1980年の5月に執筆、とあるので今から34年前になりますね〜そんな昔になるのか。80年といったら登場する女子大生のビジュアルは、あだち充の「みゆき」のイメージに近いと思います。しかし、登場するブランドをみてると「こんなにコンサバな流行だったかな?」という違和感も…小説の世界は、出典されてるファッション、音楽など結構70年代寄りのカルチャーです。
「註」が小説の半分を占める、という斬新な構成がセンセーショナルな話題となり、自身の作品を「オジンには理解できないだろう、ボクは大学でも異端児だったから。」みたいなポーズで本人は語ってます。この過去の話題作を今更読んでみた印象は「ファッション誌が『社会の窓』の24才の若造が、憶測を交えて書いた、童貞の鼻息のような小説」といった感じでしょうか?作品に漂う「若者の冷めた皮膚感覚」というドライな描写も、この時代のトレンド「しらけ」世代の自己主張にみえます。ようするに、自分は異質といった自意識とか、傍観者スタイル自体が流行ってたんですね。…な〜んて、今頃批評してもしょうがないけど。
それにしても「なんクリ」を読んでると、この文体をマネしてみたくなります。ってことは魅力があるのかな?今日は「なんクリ」レトリック&ロジック(というほど高度でない)で日記を書いてみようか、なんとなく。

サチコの住まいは桜新町(1)にある築60年の一戸建てだ。ミッドセンチュリー(2)といえばきこえはいいが、老朽化した木造家屋(3)にアーベイン(4)な香りはなく、古色はシャビィ(5)をとうに越えてしまっている。鬱蒼とした庭木は、往来のじゃまになるほど伸び、そろそろケガ人がでてもおかしくないほどだ。この荒廃した庭のせいで、いつも肩身のせまい思いをしているので、近所の奥さんに会わす顔がない。日が暮れて、人影が消えたのを見計らってから、サチコはやっと重い腰をあげたのだった。サザエさん通り(6)のモードオフ(7)で買った、H&M(8)のチュニック(9)をまとい、オルカイ(10)のレザーサンダル(11)をつっかけて、大きな植木バサミで、名前もわからない、ただ生命力だけはやたらと盛んな樹木を、バサバサと無感情に切った。「うちの植物は、ちっともわたしをハップ(12)にさせない。それどころかグルーミー(13)だわ…。」通りにはみでた枝だけで、東京都指定の40ℓゴミ袋(14)はたちまちいっぱいになった。素足にまとわりつくヤブ蚊をはらいながら、代々木公園(15)のデング熱(16)騒動を、ふと思い出し、なおいっそうグルーミーな気分になるのであった。

[註]
(1)桜新町:成功したカッペが住みたがる住宅街。サザエさんで有名。(2)ミッドセンチュリー:50年代頃のデザイン全般をこう呼びます。一点ものが好きな暮らし系に好まれます。(3)木造家屋:イノベーション物件はレトロでオシャレな住まいとして人気。(4)アーベイン:urbane  (5)シャビィ:shabby (6)サザエさん通り:桜新町の商店街。長谷川町子美術館とサザエさんに便乗して、ノラリクラリと経営するお店が多いのは嘆かわしいかぎり。(7)モードオフ:古本販売で有名なブックオフの系列店。中古衣料(モード)を底辺まで提供するありがたいお店。(8)H&M:スウェーデン発のファストファッションメーカー。有名ブランドのパクリデザインも多いので、工夫しだいでハイファッションに見せかけたコーディネイトが可能です。(9)チュニック:かぶるタイプのゆるいワンピース。主婦のたるんだ体型カバーにもってこいです。(10)オルカイ:ハワイのサンダルブランド。(11)レザーサンダル:ユッタニューマンなど、革の便所履きにしか見えないのに5万円以上する超高級アイテムもあります。(12)ハップ:hap (13)グルーミー:gloomy (14)東京都指定のゴミ袋:都民はこの袋でゴミを捨てます。ブランドのショッパーで見栄をはるのはNGですよ!(15)代々木公園:なかなかデートコースを増やせないカップルが、ご愛用です。ホームレスのキャンプ場。(16)デング熱:ヒトスジシマ蚊が媒介する熱病。代々木公園でダンスの練習をしていた学生が発病し、騒動になってます。

・・・[註] の鼻持ちならないかんじは、オリジナルを忠実に再現。シティーボーイを気取った東京情報、「辞書をひけ」とばかりに英単語はそのまま。ヤッシー何様?ってウザイ(グルーミー)気分になります。

なんクリ
「なんとなく、クリスタル」田中康夫 新潮文庫
オサムグッズ(懐かしい〜)で有名な原田治のイラストが表紙です。
c.a
わたし的には80年の名作はこれ!The Residents の「コマーシャルアルバム」
1分間ちょっきりの曲が40曲ぎっしり!…とってもPOP。いつ聴いても新鮮です。
1980年はどんなカルチャーだったのか?やっぱ「なんクリ」はダサい。

☆告知〜☆ 明日は無人島プロダクションで『虚☆無限大トーク』!pm7:00からです!

森と泉と逃避行

河出書房から発売予定の「文藝別冊 赤瀬川原平」という特集雑誌に、赤瀬川さんに関する文章を書くことが決まり「う〜ん…何を書こう?」と苦悶してる間に、あっーというまに入稿期日は迫り、一昨日の日曜日が締切りだったのですが…。その前日の土曜日は千葉県佐倉市の川村美術館まで遠征し、まあ間に合うでしょうとタカを括って余裕こいて、結局は間に合わず、昨日の朝9時までパソコンに向かって奮闘し、どうにかこうにか書き上げました!
尊敬する赤瀬川さんの何を綴ればよいのか悩みに悩み、変に背伸びして浅い知識を露呈してしまうのも如何なものかと考え抜き、テレビっ子レベルの私が存じ上げる赤瀬川さんのことを書くことにしました。…30年程昔の私がまだ12、3才だった当時、NHK教育テレビでは結構ナウい文化を取り扱っていて(YOUのスタジオ観覧するのが憧れだった!)その一連の番組で初めて「赤瀬川原平」を知った記憶があります。うろ覚えですが多分「トマソン」に関する内容で、私が初見した赤瀬川さんは芸術家ではなくて路上観察者だったのです。なので路上から無用のカミを発見する「拾うカミ様」=極上の観察者、赤瀬川さんをテーマに書くことにしました。。。頑張って執筆しましたが、ブログがこのような文章なので想像がつくと思います。「蒐集は反体制行為」「ヤオロズはアナーキー」「無用神州日本を取り戻す!」と一部抜粋しただけで、勢いで乗り切れ!な感じが滲み出てますが…興味のある方は是非読んでみて下さい。(発売日はまだ不明なので詳細は後日)

文章と言えば、先日「サクマ君」の号で、甲子園はドカベン的であって欲しい旨を書きましたが、この件に関し、いつも五反田の古書展でお世話になっている古書赤いドリルさんが、ご自身のブログで「ドカベンに迫りつつある高校野球」をとても詳しくレポートされてます。私はこの文章を読んで自分がペロっと書いたことを恥じました!ドリルさんほどの野球と水島マンガにたいする造詣と愛が無いのに、この話題に安易に触れてしまったことを!懺悔の代わりにドリルさんのブログをお勧めしま〜す。『赤ドリルの夢は夜ひらく』←面白いですよ!
(…白新高校の不知火で思い出すのはこのエピソード。隻眼という弱点をついた殿馬の死角狙いの投球を、不知火は見事ホームランで仕留める。息子が走塁する姿をフェンス越しに見守るサングラス姿の父…。ホームインした無帽の不知火の両目から光る涙!ななななんと!?お父さんは息子・守に自分の角膜を生体移植したのです!。。。凄まじい親子愛!この過激さがドカベンですね。)

siranui
不知火守クンをかいてみました。切れ込みの入った野球帽がカッコイイ!!
gokita
土曜日、締め切り前日なのに…森と泉にかこまれたDIC川村美術館に逃避してきましたー!
この日は五木田智央展のオープニングレセプション。実は五木田さんは私の卒業した美術学校の油絵科に在学してたことがあるんです。接点はほぼゼロだけど・・・。
gara
否が応でも記憶に残る。マックス・エルンストの奇妙な作品『入る、出る』(1923年)
シュールシュルシュルル〜っと入ったり出たりのドアに描かれてます。
モデルはあのダリの愛妻ガラ。当時はポール・エリュアールの本妻でエルンストとは愛人関係。
この絵が描かれた6年後にダリと出会ったそうです。シュール界のミューズ・ガラ、恐ろしい子!
(川村美術館のコレクションは常設展示で観れます。)